地方都市の夕景

音楽と写真

1week ago

母が亡くなってから1週間が経った。早いものだ。こうして2週間前のことになり、1ヶ月前のことになり、半年前のことになり、1年前のことになり…と、どんどん過去のことになっていくのだろうか。最後の数ヶ月は寝てばかりいて、殆ど会話をすることもできなかったけれど、そんな状態だったとしても、いるといないとでは大違いなのだなと思った。此岸と彼岸。

悲しい葬式だった。父が棺に何枚か写真を収めたのだけれど、写真ってこういう時のためにあるんだよなぁなんて思ったりした。写真=記録 というのが一般的な価値観で、自分みたいに毎日何十枚も、日によっては何百枚も撮る、なんてのはかなり異常というか。そうやって写真を趣味にしていて、沢山場数を踏んでいるからこそ、いざという時にもちゃんと撮れる、というのはあるけれど。遺影は僕が撮った写真だった。生前に母が「これが良い」と指定したのだそうだ。

母とはずっと離れて暮らしていて、毎日会うわけではなかったから、日常に変化があるわけではない。だから、ひょっとすると今もどこかで生きているんじゃないか、なんて妄想を抱いてしまうけれど、残念ながらそれはない。母はもう死んでしまったのだから。亡骸は燃やされて骨になって、壺に入れられて、部屋に置いてあるじゃないか。その現実をどういう風に受け入れたら良いのか分からない。到底受け入れられるはずがない。ポジティブに捉えることなんてできるはずがないのだから。まるで嘘みたいな話に思える。けれど、これが現実なのだ。今迄僕は何をしてきたのだろう。何だか、今まで自分がしてきたこと、今までの生き方は全て間違っていたんじゃないかとさえ思えてきてしまう。何もかも、無意味だったのではないかと。これから先、どうすれば良いのか、どう生きていけば良いのか分からない。

明日の朝目覚めたら、全てが嘘になっていたら良いのに。何度そう思ったことだろう。

僕らは何も取り戻せないし、取り返せないし、一度失ってしまった以上は、何をどうやっても、埋め合わせをすることもできない。