地方都市の夕景

音楽と写真

押すだけで何かを表現したような気になっていた

f:id:amilamia:20191112173547j:plain

ついにライトルームもフォトショップも互換性がなくなってしまったので、SierraからHigh Sierraにアップデート。

重くなったり不具合出たりするのが嫌だったから、本当はアップデートしたくなかったのだけれど。自分の力ではどうにもできないことばかりだ。人生とはそういうものなのか。自分の意志で始めたつもりのことでも、いつの間にか自分ではどうすることもできなくなってしまっていたり、自分だけの力では手に負えなくて収集がつかなくなってしまったり。結局のところ、僕自身の軸がブレていて、汎ゆることをふわふわとやっているからそんなふうになってしまうのだろう。俺はなんてダメなんだ。生きている資格がない。鬱だ。死のう。とまでは思わないけれど。

以前の自分がなぜそこまで偏執狂的にそんなことにのめり込んでいたのか、ということは、後になって、時間が経って、冷静になって、ある程度客観的に見られるようになってからでないと分からないものだけれど、まぁ人生ってそういうことの繰り返しなのかなと思う。少し前の自分にとってのそれは、特定或いは不特定の女の子の写真を撮ることだった。所謂ポートレート写真。女の子でなければならない理由も必然性もなかったけれど、男の子のモデルを探すのってなかなか難しくて、結果的に女の子ばかり撮っていた。何のために撮っていたのか、それは何に使う写真なのか、と言われると特に答えはなくて、インスタに上げるくらいのものなのだけれど(後に写真集を作ったりもしたが)。妻には「そんなのやる意味が分からない」と言われたけれど、確かにそうだ。僕自身、何でやっていたのかと言われると今となっては分からない。
積極的に良質な写真をアップして、インスタのフォロワーを増やして、フォロワー1万人を目指す!目指せ、インフルエンサー!とか思ってた時期もあった。ある程度の所で頭打ちになってしまったが。しかしそれ以上に、どういう写真が他人にウケるのかとかは全く考えていなかったし、分かりもしなかった。未だに分からない。一番手っ取り早いのは、「インスタでウケている写真」を只管パクりまくることだろうけれど、僕はそういった写真の影響を受けるのが絶対に嫌だったから(全く影響を受けないというのも難しいけれど)、兎に角自分が納得できる写真を撮ることに徹したつもりだった。これは今でもそうだけれど、「自分が良いと思っているものが不特定多数の他人に受け入れられる」ということ、これが一番理想としていた形ではあった。勿論、そんなの実際には無理なのだけれど、「どこかで見たことあるような写真」みたいなのを僕が撮っても仕方がないとは思っていた。
自分の武器で戦うこと。自分の中から湧き出てきたヴィジョンを具現化すること。自分のやっていること、やりたいと思っていることがたまたまポピュラリティを得やすいものだったのならば、それは人気が出る可能性が高いが、ポップスが好きなわけでもないのにこういうのが売れるから…と無理やりポップスを歌っても売れないだろう。僕はロックをやり続けるしかないのだ。雑で不器用なロックを。

f:id:amilamia:20191112173647j:plain

ここまでダラダラと書いてきて、自分のことだから甘くて、まだ核心に踏み込めていないなと感じた。要は写真って押せば写ってしまうものだから、最低限のお作法さえ覚えてしまえば、誰でもできてしまう。そして、最早デファクトスタンダードとなっているライトルームやフォトショップなんかを使えば、クソな写真でも何となく良い感じに見せかけることはできてしまう。要は、押すだけで何かを表現したような気分になりやすいし、僕は何かを表現したような気分になりたかっただけなのだろう。バンドもあまり上手くいかなかったし、音楽以外で何か表現できるようなものが欲しかったのかもしれない。DTMは正直つまらない。そしてすぐに息詰まるし、一人だとモチベーションも湧かない。締切がないと物が作れない。何よりやっぱり僕は生のバンドが好きなのだ。バンドは一人ではできないけれど、写真なら一人でできるし。実際には被写体がいないとダメだから一人ではないけれど、シャッターを押すのは僕一人だ。

厳密には違うけれど、写真は良くも悪くも押せばいいだけだから、簡単にできる、そう思われがち。ある意味でそれは正しくて、今やスマホのカメラのソフトウェアの技術も上がってきているし、誰でも簡単に写真を撮ってシェアできる時代。これほどまでに競技人口の多いジャンルというのも珍しいくらい。参入障壁が低くて競技人口が多いともなれば、上を見たらキリがない。絶対にトップにはなれない。敵わない。考えてもみろよ、最近カメラ触り始めただけの、何のバックグラウンドもない凡人が女の子の写真撮ってるだけ。そんなものに価値があるはずがないし、そんなものがポピュラリティを得られるはずなんてないだろう。そういうことを考えてやるべきものじゃないんだ、これは。趣味でしかないんだ。自分が納得できる写真を撮れればそれで良いじゃないか。

そんな単純な話だったのか?つまり承認欲求?いい写真が撮れたからSNSにアップしてみんなに見てもらいたい、いいねしてもらいたい、フォロワーが増えたら嬉しい、こういった感情は別に普通で誰もが持ち合わせているものであり、特段異常なことでもない。それを超えて、俺は写真でやっていく!「何者か」になる!となってしまうと、恐らくあまり楽しい未来は待っていないように思う。どうしたって行き詰まるし、どうしたって上を見たらキリがないのだ。そしてお前に何らの特別な才能なんてありはしないのだから。

全然書ききれていない気がするけれど、無駄なことは一つもなかったなとは思う。全てが糧となり、血肉となり、今の僕を動かしている。色々試行錯誤してみるというのも大事なことで。生まれてから死ぬまでという大きな流れの中で考えると、右往左往することの方が自然というか、人間らしいとも思える。迷わずに真っ直ぐ進みたいものだけれど、真っ直ぐ進んだ所で、その先に何があるのかといえば、何もありはしない。老、病、死。そこにあるのはそれだけなのだから。

f:id:amilamia:20191112173616j:plain

書いてて自分で何を言っているのかわけがわからなくなってきたので今回はここらへんでおしまい。