地方都市の夕景

音楽と写真

彼岸花

ついつい放置してしまっていた。何かあったわけでもなく、かといって何もなかったわけでもないけれど。日付見たら、丸1ヶ月書いていなかったようだ。

フィルムカメラ彼岸花を撮ってきた。構図が去年と同じだ。そして去年の写真の方が良かったような…。

最近妻のNikonFEを借りたので、そちらでも撮ったけれど、使い慣れているCanonEOSkiss5の方が良い写真が撮れていた。というか、要はレンズだな。CanonEOSkiss5では撒き餌レンズEF50mmF1.8STMを使ったのだけれど、NikonFEにはnikkor28mmF3.5が付いていた。僕には使いづらい画角だ。仕方ないので(?)、コシナプラナー50/1.4ZFを注文した。廃盤の方の中古。マウントアダプターも買ったから、NikonFEを取り上げられても、α7Sで使える。

最近はNikonCanonも、そしてPanasonicもフルサイズミラーレスを出してきて、フルサイズミラーレス戦国時代みたいになってきた。僕はずっとSONYのフルサイズミラーレスなので関係ないし、他社に乗り換えるということも100%ないけれど。
しかしなんだか、猫も杓子もハイスペックなカメラばかり出してきて、ハイスペックカメラ戦争に辟易してきた感があるので、どうせなら時代に逆行してやろう、ということで妻のNikonFEを暫く使ってみることにする。写ルンですとかを除けば、今まで使った中で最もアナログでアナクロなカメラ。というのは嘘で、NikonFEには露出計があって絞り優先オートが使えるから、以前使っていたRICOH FLEXの方がもっとアナログでアナクロだった。僕にはフルマニュアルは向かない。不便さを楽しむのには良いかもしれないけれど、ただ不便なだけだと楽しくないので、楽しむためには露出計は欲しいよね、と。

機材の話とかはアクセスしやすくて、情報が得やすいのだけれど、肝心の写真表現そのものについての情報ってなかなか得づらかったりする。特にネットだと。
だから最近は雑誌とかを買って読むようにしているのだけれど、色んな写真家の文章を読むにつけ思ったのは、なんというか、結局のところ正解ってのはなくて、言わば各々が模索していくものだから、やはり何も分からない。というか余計に分からなくなった。それとも、成功すれば、評価されれば正しかったということになる、という生存バイアスみたいな話だろうか。
NikonFEでは日常ばかりを撮っているけれど、これはあくまで記録であって作品ではない。自分の日常を切り取って他人に見せたいという気持ちはあまりない。ましてやそれを作品だなどと豪語することも到底できない。かと言って、以前のように、以前と同じような気持ちで女の子のポートレートを撮り続けていくというのも色々と難しい。一度メタな視点を持ってしまった以上は、以前と同じ気持ちで続けていくことはできない。そもそも、撮りたいと思う人がいないという問題も大きい。川島小鳥も言っていたけれど、撮りたいと思える被写体と出会えるかどうかというのは狙ってできることではない。
そうやって色々考えると、今まで撮ってきたポートレート写真というのは、あれはあれで、あの時しか撮れなかった、一生のうち、短い期間でしか作ることができなかった作品群なのかもしれない。だとすれば、一冊にまとめてみるのもアリかもしれない。とちょっと思った。

最近はまた曲を作っていて、6曲入りミニアルバムにできそうだから、年内にEPをリリースするつもりでいる。アートワークを撮らねば。そしてアー写も?


お彼岸だったからか、関係あるのか分からないけれど、最近亡くなった母がよく夢に出てくるような気がする。思えば以前は夢に出てくることはなかったような。しかし、夢の中に出てくる母もまた、決まって末期癌なのだ。状態は様々なのだけれど、恐らく記憶の中にある、何れかの状態の時の母なのだろう。発見直後の、癌患者には見えないような元気な時もあるし、終末期の黄疸が出た状態の時もある。当然夢の中なので時系列なんてなく、順番はバラバラ。蒸し返すのはやめてくれという感じだけれど、こういうのはいつまで続くのだろうか。恐らく、死ぬまで続くのだろう。若い頃の記憶だから、例え認知症になったとしても覚えているだろうし。
そういえば、さくらももこも、樹木希林も、山本キッドも癌で亡くなってしまった。二人に一人はなる病気だし、それは有名人であろうとそうでなかろうと関係ないというだけの話なのだけれど。人生は短い。作品を作ろう。