地方都市の夕景

音楽と写真

mother

母が旅立ちました。


少し前にも書いたけれど、去年の5月、「お腹が痛い」と病院に行ったら即検査入院に。結果、大腸癌が肝臓に転移しており、見つかった時にはステージ4で既に手遅れな状態だった。大腸の腫瘍については直ちに切除しないと腸閉塞で死んでしまうということで手術。ただ肝臓については治療不可能で、抗がん剤放射線治療は本人が望まなかったので(そもそも放射線治療はできない状態だった)、緩和ケア以外、治療は一切しないという方針だった。

同じような境遇の人の何らかの参考になるかもしれないということで、書いておきます。或いは消すかもしれないけれど。その際はご容赦下さい。
以下、今年に入ってからくらいの母親の状態を時系列で(記憶が曖昧な部分や、思い出しながら補完した部分もあるので、その点もご容赦ください)。少なくとも去年一杯くらいは日常生活に支障もなく、食事も普通に摂っていたし、買い物や犬の散歩にも行っていた。痛み止めの薬は飲んでいたけれど。徐々に癌は増えていたのだろうし、治るということはないから、確実に悪くなってはいたのだろうけれど、目に見えて変化があったのは今年に入ってからだ。


2017/12/31~2018/1/3
痩せて、体力は落ちていたが、概ね元気だった。ひょっとするとこのまま何年も生きたりするのではないか、などと甘く考えていた。あるいは今年一杯くらいは。

2/4(日)
親族顔合わせ。かなり痩せていたが、普通に食事もしていた。

3/4(日)
黄疸が出始める。最早肝臓がほぼ機能していないということの証拠なので、現実を突きつけられたようでショックだった。会う度にどんどん痩せ細っていた記憶がある。

3/18(日)、3/21(水)
黄疸がとれるかもしれないということで胆管ステントの手術。これが悪かったというか体力的にきつかったようで、一時はかなり危ない状態に。一人では歩けない、コップも持てないくらい手に力が入らない、言っていることもおかしい、眼の焦点が合わない、など。この時点ではもう、後述の結婚式までは持たないだろうという見込みだった。黄疸も逆に酷くなっていた。靴も履けないくらいに脚がパンパンに浮腫み始める。

4/8(日)、4/22(日)
叔母(母の姉)が介護に来るようになり、退院して家で過ごすようになってから少し回復した。自力で歩ける程度ではあったし、意識もはっきりしていた。少しずつ食事もできるようになっていた。

5/13(日)
僕と妻の結婚式に出席(車椅子で)。元気なふりをしていたので体力的に限界が来たのだろう、怠みが辛いということで先に帰ったが、この頃は意識もはっきりしていたし元気ではあった。

6/16(土)
かろうじてゆっくり階段の上り下りはできていた。ベッドに座っているのもつらいので大体横になっている。会話もそれなりにできた。ちょっとだけご飯を食べた後は横になっていた。意外とこのままずっと行くのではないかと思っていた。少しずつ悪化しているとはいえ。

6/24(日)
だいぶ窶れていた。黄疸も酷くなっていた。正直、結構衝撃的だった。妻もショックを受けていたようだった。二の腕、首、肩など上半身には肉が全くなくて骨と皮だけみたいな状態。なのにお腹は腹水でパンパンで、手足もパンパンに浮腫んでいる。黄疸も悪化していた。常にウトウトしている。会話もしんどそう。表情がない。訪問看護の先生から「看取りの心得」みたいな冊子を貰う。イコールあと1週間といったところらしい。もう殆どずっと、ベッドの上だけで過ごしていた。加速度的に悪化していく。先週までできていたことが今週はもうできない。
何もしてあげることができない。「何もしてあげられなくてごめんね」と母に伝えたら、「何もしてくれなくて良いよ」と返答。涙をこらえることしかできなかった。

7/1(日)
さらに怠そうで、殆ど寝てばかりいる。傾眠傾向というやつ。手足にチアノーゼも見られる。ただ一応食事はしているから、そんなにすぐに、というわけでもなさそうだが、どうだろうか。分からない。意外とこのまま行くのか…?と思いきや加速度的に悪くなっていくというのがこれまでの傾向だから不安である。もう自力でトイレに行くのも難しい。あと2週間ほどで誕生日だから、そこまで持つかどうか、というところ。これからせん妄が出たり、呼びかけても殆ど起きなくなったり、ずっと眠ったまま目覚めなくなったりするのだろうか。

7/7(土)
妻の両親が母に会いに来る予定だったが、父がヘルニアの手術のため延期に。だが延期にするとなると、もう次はないのではないかと思うけれど…。本人としては、誰にも会いたくない、こんな姿を見られたくない、とのことだから、本人の意思を尊重するということになりそうだけれど。
もう自力で歩くこともできなくなっており、介護なしでは立つことすらできなくなっていた。所謂せん妄が出ており、意識レベルが下がっている。会話が噛み合ったり、噛み合わなかったりする。自分の置かれている状況すら、分かっているのか分かっていないのか、よく分からないくらい。僕が家に着いてすぐの時は「今日は一人で来たの?」と訊かれたから、はっきりしていたのだろうけれど、帰るときには「生活は大丈夫?今はアルバイトしてるの?」と訊かれた。僕は「大丈夫だから安心して。」と答えた。恐らく大学を出てすぐの頃の話をしているのだと思われる。あるいは全然違う妄想だろうか。意識レベルにも波があるようだ。終始そんな状態だった。「排水口がどうのこうの」とか、「一本だけだよ」とか、寝言のような辻褄の合わないことを口にしていた。こうなると余命は1週間程度らしい。最早、いつまで持つか。食事も殆どしていないらしい。

7/9(月)
兄から「急激に弱っている、もうそろそろだから覚悟して」とLine。もう立ち上がることすらできなくなっているらしい。

7/13(金)
母の誕生日だったので、ケーキを買って朝からお祝いをしていた。所謂傾眠で「声をかけると目は開けるし、何か言うけどよく分からない。」状態だったらしい。しかし昼頃、「呼吸がおかしい。もうすぐ死にそう」と兄から連絡。その10分後くらいには呼吸が止まる。主治医が駆けつけ、死亡が確認された。僕が着いた頃には、死装束に着替えさせているところだった。誕生日が命日になってしまった。生没同日。何となく、そんな予感はしていたけれど、もうちょっと段階を踏んで心肺停止に至ると思っていたから、あまりにも急だった。本当にあっけなく終わってしまった。見つかってから1年と2ヶ月というところだった。
1週間程前にあまり噛み合わないやりとりをしたのが、母との最後の会話になってしまった。誰の目にも死期が近いことが明らかな、いかにも末期癌患者という風貌で、寝てばかりいて会話も覚束ない、あんな状態であったとしても、生きているのと死んでいるのとでは大違いなのだなと思った。いつかはこうなると分かってはいたけれど、現実にそうなってしまうと、今眼の前で起こっていることが現実だとは思えなかった。悪い夢でも見ているような気分で、現実味がなかった。母は向こう側に行ってしまった。例えば、止まってしまったエスカレーターを上り下りすると眼の錯覚で違和感を感じるように、寝ている人のお腹が動いていない、呼吸をしていないというのはとても不自然に感じられた。呼びかけたら眼を覚ますんじゃないかと思ったけれど、それはない。どんなに呼びかけても眼を覚ますことはない。もう母は死んでしまったのだ。意味が分からな過ぎて、理解が追いつかなくて、涙すら出なかった。握った手はぶよぶよしていて、冷たかった。



「地方都市の夕景」というタイトルにはあまり意味はないのだけれど、この「地方都市」というのは僕が18歳まで育った宇都宮のことだ。「夕景」という単語はなんとなく雰囲気でつけた(僕は雰囲気でブログを書いている)。餃子で有名だが、特にこれといって何があるわけでもない、寂れた地方都市。僕は東京に行きたかった。実家を出たかった。東京の大学に行くべく必死で勉強した。実際、東京の方が自分に合っていると思うし、一人暮らしは実家にいるより自由で気楽で良かった(今は結婚して妻と暮らしているが、部屋は別々だし、共働きなので24時間一緒にいるというわけでもなく、生活はそこまで変わらない)。東京で一人暮らしを始めてから、実家にはあまり帰らなくなった。年末年始と夏休みくらい。しかもすぐに東京に戻ってくることが多かった。10年以上、そういう状態だった。別に家族と仲が悪いとかいうことでもなく、単に実家に帰ってもすることがなくて暇だから、といった理由だった。僕はたまに帰ってくるゲスト、くらいの存在になっていただろうか。そうこうしているうちに、母の癌が見つかる。見つかった時点で完治は不可能。母の余命の件があったから、何もかも前倒しでやることになり、最初で最後の家族旅行に行った。付き合っていた彼女とも、どうせ今後もずっと付き合っていくのだから結婚しても良いだろうということで、地元宇都宮で親族だけの結婚式を挙げた。その後、生きる目標がなくなってしまったからだろうか、あるいは単に癌が進行しただけだろうか。あるいは、全ては予め決まっていたことなのかもしれない。避けられない死。それは誰もが避けられないわけだけれど、でもあまりにも早過ぎるだろう。思えば親孝行なんて何もできなかった。末っ子だということもあり、僕は割と甘やかされて育ったように思う。だから、もっと愛して欲しかった、とかは全く思わないのだけれど、僕は与えてもらうばかりで何も返すことができないまま、こんな形で終わってしまった。本当に、何もしてあげることができなかった。
生きられなかった母の分まで、こうして今日も明日も元気に生き延びること。それしかないのかもしれないし、それだけで良いのかもしれない。けれど、やり切れない思いでいっぱいだ。

癌とはなぜこの世に存在するのだろう。存在意義が分からない。犬でも猫でも癌にはなるし(死因のナンバー1らしい)、他の動物でもなるのだろうけれど、癌細胞が増殖し、やがて本人を死に至らしめるとすれば、結果として癌細胞自体も死んでしまうことになるわけだから、無意味というか自殺行為ではないか。まぁそんなことを考えても仕方がないのだけれど。生きることとか、死ぬことについてあてもなく考えることが増えた。自分もいつかは確実に死ぬ。とするならば、どう生きるべきなのか。以前はいつ死んでも良いと思っていたけれど、最近は「下らない死に方はしたくないな」などと思うようになった。逆に下らなくない死に方って何なのか分からないけれど。

この文章を読んだ皆さんに伝えたいことは2つだけ。1つ目は、親はいつか死ぬので大事にしましょうということ。2つ目は、定期的に癌検診に行きましょうということ。早期発見できればこんなようなことにはならず、何とかなる可能性が飛躍的に上がるので。


今回の記事に載せた写真は、母が亡くなった日の夕暮れの写真。とても綺麗な空だったので。

母さん、今まで育ててくれて、愛してくれてありがとう。何もしてあげられなくてごめんなさい。今の僕には写真しかなくて、でも写真があったからこそ今の奥さんと知り合えて、結婚できて、今もこうして生きているよ。多分あと50年くらいしたら会いに行くと思うから、それまで元気で。

意識低い系のまま、生き延びたい。

大学は法学部だったのだけれど、今思えば法律に興味なんて全くなかったし(今もない)、周りの学生みたいに「弁護士になりたい!」とかいう気持ちも微塵も持ち合わせていなかった。法律に興味もなく、弁護士になりたいわけでもない18歳の若者が法学部に入ったらどうなるか。当然、法律の勉強なんて真剣にやるはずがなく、当然の如く落ちぶれた(燃え尽き症候群だったというのもあった)。他の学生達と違って僕には何の目標もなかった。言わば遊ぶために大学に入ったようなもので、毎日、軽音楽部の部室で先輩たちとダラダラしていた(部室の住人たちは留年率が高かった)。何となく日々を過ごしていた。あの時代が一番楽しかったかもしれない。本当に何も考えずに生きることができたのはあの頃の短い時間だけだ。

なぜ法学部にしたのかと言われれば、(自分にとっては)そこが一番入りやすかったからだ。僕は東京に行きたかった。東京に行くには、東京の大学に受かるしかない。あまり裕福な家庭というわけでもないから、できれば学費の安い国公立大学が良い。となると、殆ど選択肢はない。その中で、自分の得意な教科の配点が高く、苦手な教科の配点が低い、つまり受かりやすいと思ったのがその大学の法学部だった。もしそれらの条件を満たしていたのが商学部だったならば商学部にしただろうし、文学部だったならば文学部にしていたと思う。体系的に何かを学びたいと思ったことがない。僕にとって勉強とはテストで点数を取るゲームでしかなかった。英語そのものにも、数学そのものにも、歴史そのものにも何の興味もなかった。もし今大学に行くなら、やはり写真学部かなというところだけれど、写真学部に行って写真についてあれこれ学んだところで、果たして写真が上手くなるのかどうかは謎である。すぐにつまらなくなって、嫌になって辞めてしまうかもしれない。あるいはそれはただの美大芸大コンプレックスみたいなものに過ぎないのかもしれない。隣の芝生は青く見えるものだ。人生とはそんなもんなのかもしれない。結局何を手に入れても、それが当たり前になってしまうと麻痺してしまう。

就職の歳、人材紹介エージェントみたいなところに何度か行ったけれど、意識が高過ぎてついていけなかった。30代までに年収何百万、40代で年収何千万、50代でなんちゃらかんちゃら、みたいなやつ。お前ら正気かよ、と思った。そもそも、そういう人が集まる業種なのかもしれない。仕事が大好き!やりがい!社会貢献!みたいな。自分とは次元が違い過ぎた。結果、何となく受けたところに受かって就職して、色々あって今の職場になった。僕は独立したいとも、そんなに年収が欲しいとも思わなかった。それなりに生活費を稼いで、それなりに暮らしていければそれで良かった。高級ブランド品にも興味はないし、車も持たないし、ギャンブルもしないし、キャバクラにも風俗にも行かないし。カメラやレンズは買うけど。でもそれもPCを新調したのとRX100を買ったのでもう欲しいものがなくなってしまった。最近は服もあまり買わない。

結局のところ、自分の好きなこと、得意なことを仕事にできるか、みたいな話で、好きなこと・得意なことと稼げることが一致している人は良いけれど、そうじゃない人はこうやって生きるしかない。「仕事はきついけど稼げる職場」みたいなところに無理して転職すれば年収は上がるかもしれないが、心身を壊して病院に行く羽目にでもなるとしたら、トータルでどちらが得なのか分からない。

d.hatena.ne.jp

まさにこれ。
僕はハードに働くのには向いていないし、自分の好きなこと・やりたいことというのは全くお金にはならない。どこでどうしていれば良かったのだろう。或いは結局の所こうなる運命だったのか。意識低い系のまま、生き延びたい。80歳くらいまで。80年も生きれば十分でしょう。最近は自殺願望とか希死念慮はないけれど、80まで健康に生きるのは難しいかもしれないな、という気持ちは何となくある。そして何より僕は癌になる可能性が高い。その前に地震で瓦礫に埋もれて死ぬとかもあり得るが。あとは自転車に乗ってる時に交通事故とか。

みんな何をそんなモチベーションにして働いているのか。実はみんな自分と同じようなもので、現代の日本では8時間×週5日働かないと生きていけないから仕方なく働いているだけなのだろうか。結婚して子供ができて住宅ローンで家を買って、となっていくと後戻りができないし、責任とか背負うものが大きくなっていくから仕方なくやっているのか。何もかも嫌になって全部投げ出して逃げたくなったりしないのだろうか。そういう人もいるのかもしれないけれど。意識低い系のまま、生き延びたい。

SONY デジタルカメラ DSC-RX100 1.0型センサー F1.8レンズ搭載 ブラック Cyber-shot DSC-RX100

SONY デジタルカメラ DSC-RX100 1.0型センサー F1.8レンズ搭載 ブラック Cyber-shot DSC-RX100

深夜にだらだらとネットを見るのが好きだ

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写真やカメラに関すること、PCに関することなど、何か調べ物をしている時もあるし、或いは特にあてもなくネットサーフィンをしているだけの時もある。大抵、後者だけれど。ヘッドフォンで音楽を聴きながら。ほぼ毎晩。

何が直接のきっかけだろうか。恐らく最近よく実家に帰っているから、そのせいなのかもしれないけれど、高校生くらいの時のことを思い出すことが多い。実家にいたのは18歳の時までで、僕が実家を出てから実家は2回引っ越しているから、今の実家は実家であって実家ではないのだけれど…「実家」という単語を使い過ぎて段々意味不明な文章になってきたが、それはさておき、型落ちのノートPC(VAIO)を父親に買ってもらい、実家にネット環境が整ったのは確か高校2年の時だった。もう10数年前のことだけれど、その頃から何も変わってはいない。当時高校生だった僕は夜な夜なノートPCに向かい、インターネットを見たり、オンラインゲームをやったり、MSNメッセンジャーで友人とチャットしたり、はたまた(大きな声では言えないが)ファイル共有ソフトに手を出したり、等、よく夜更かしをしていた。流石に受験の直前は控えていたけれど。

30代になった今では、大抵酒を飲みながらだけれど、やっていることは大体同じだ。相も変わらず、こうして僕は夜な夜なノートPCに向かって、こんな内容のないブログを書いたりなどしている。RAW形式で撮った写真のデジタル現像をしたりもしている、というのはちょっとした進歩かもしれない。そう言えば、なぜか常にノートPCだった。持ち歩くことなんてないのだから、デスクトップでも良かったのに。最初は型落ちのVAIO、大学を卒業してからそれが壊れてしまい、新たに買ったのはASUSの3万円くらいの激安ノートPC。次が親父から譲り受けたMacBook Air、そしてこの前買った中古のMacBook Pro。これで4台目。
ちなみにMacBook Proは突然起動しなくなったり(セーフブートしたら直って、原因も特定できた)、Wi-Fiに繋がらなくなったり(SMCリセットしたら直った)、大丈夫かよ…という感じもあるけれど何とかやっていっている。やっていきましょう。

思えば、インターネットがあったからこそ今の僕がある。公立高校はある程度の遅刻や欠席があっても卒業できる、といった情報は2ch(当時)の大学受験板で得た知識だ。結果、僕はギリギリまで高校の授業をサボることで浪人生並みの勉強時間を捻出し、図書館や予備校の自習室に通い詰めて勉強した結果、志望校に現役合格することができた。ファイル共有ソフトのおかげで色んな音楽を聴くことができたからこそ…否、この話はやめておこう。インターネットを通じて知り合った人も沢山いるし…最近の話では、妻と知り合えたのもインターネットというかSNSがあったからだ。インターネット万歳。ちなみに出会い系アプリとかではなく、ツイッターとインスタグラム。

この前の土曜の夜、妻と食事に出かけて、散歩しながら家に帰ってきたところで猛烈な眠気に襲われ、倒れるように眠ってしまった。眼を覚ましたら1時過ぎで、それから眠れなくなってしまったので、いつものように缶チューハイを飲みながらインターネットを見ていた。外が段々明るくなって来た頃、眠くなってきたので眠ることにした。我ながら、何とも自由な生活だ。大学生の頃を思い出した。大学1年とか2年の頃の夏休みはずっとこんな調子だった。一人で酒を飲みながらだらだらインターネットを見る時間とは、至福の時である。高校生の頃は、夜中の3時とか4時とかまでボンバーマンオンラインをやっていて親に怒られたりしていたな…。でも上京して一人暮らしになってからは自由だった。それは今でも大体同じだ。夜は静かだし、みんな寝ているから他の誰にも邪魔されない。誰かからメールが来ることもないし、電話がかかってくることもない。静謐で平和な世界。永遠に夜が続けば良いのに。みんなは眠り続け、僕は只管だらだらと酒を飲みながらネットをする。でも朝は来てしまう。また一日が始まってしまう。そしてまた仕事に行かなければならない。楽しい時間はあっという間に過ぎ去ってしまうものだ。なんて切ないのだろう。

夜は死んだんだ。いくら呼んでも帰っては来ないんだ。もうあの時間は終わって、君も人生と向き合う時なんだ 。

あっという間に梅雨が開け、7月になったから暦の上でも夏になった。
最近は訳あって毎週末実家へ。カウントダウンは始まってしまった。

連日30度超えの真夏日で、日差しが強いから日傘をさしているのだけれど、風も強いから日傘が壊れそうになる。どうしろというのだ。
夏は好きではない。暑いから。早く涼しくなって欲しい。けどその頃には色々と終わってしまっているのだなと思うと悲しい。
世の中は不公平だし理不尽だ。なんだかよくわからない。事実は小説よりも奇なり。

ああしてればよかったとか、こうしてればよかったとか、そんなこと考えても仕方ないのだけれど。
みんなそれぞれ、自分のベストを尽くして生きましょう。

MacBook Proを買った。

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先日の記事の続きだけれど、色々考えてMacBook Pro mid2012を買うことにした。MacBook Air mid2012からの乗り換え。

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しかし、注文して届いたMBPはいきなりフリーズし、その後もビープ音が出たり、フリーズしたり、応答しなくなったりと、まぁ一言で言えばハズレだった。原因がどこにあるのか分からないが、恐らくハード面でどこかが壊れてしまっている。ということで返品することになった。

このMacBook Pro mid2012という代物、裏蓋を開ければ容易に改造できる最後のモデルなので、メモリを16GにしてHDDをSSDに換装すればそこそこ使えるマシンになるのではないか、という目論見だった。が、如何せん古い中古PCなので、故障も多いのだろうか。というか中古のMacなんて所詮こんなもんなんだろうか…ソフマップなんかにもうちょい在庫があるっぽいからそっちをポチってみるか…否、本当は分かっている。そんな中途半端なことをするくらいなら、大人しく新品のiMacを買った方が早いということを。しかし、新品のMacは高い…ということで、妥協点を探った結果がMacBook Pro mid2012を改造して使う、という選択肢だったのだけれど。これならトータル10万もかからないし。中古で良さげなの出るのを待ってみるか。どうするか。

この件はずっと課題だった。今使っているMacBook Air mid2012は父親から譲り受けたもので、これもこれでもう6年前のPCだ。Sierraがちょっときついようで、冷却ファンの回り具合が激し過ぎるのでちょっと不安になる。何も使っていなくても、起動しただけでメモリを4G近く使いきってしまう。そして、少し前にLightroomがアップデートされてからさらに動作が重くなり、メモリ4Gではまともに動かせなくなってきてしまっていた。そもそもMacBook Airというのは軽さ・薄さが売りで、ネットやメール打つくらいのライトユーザー向けのモバイルPCだから、RAW現像にガシガシ使うことなんて想定されていないのだろうけれど。メモリ8Gだったなら少しは違っただろうか。CPUもかなり非力だ。1.7GHzて。調べていて気づいたけれど、フラッシュストレージも64Gしかなかった。時代遅れにも程がある。
そろそろサポート対象外になるし、いきなり壊れる可能性もある。機械というのは何でも消耗品だし、いつかは壊れる。カメラだってスマホだって掃除機だって冷蔵庫だって、いつかは壊れて買い換える羽目になる。それらと同じだ。できたら長く使いたいのだけれど。

やっぱり新品のiMacかなぁ…Retina4Kディスプレイなんていらんやろ、と思っているけれど、使ってみるとやっぱり良い!となるのかも。CONTAX T2買った時もそうだったけれど、ヤフオクで安いのを買ったら、結局すぐ壊れて修理代がかかってしまったので、多少高くてもお店で整備済みのものを買った方が長い目で見たら得だった、という、つまり安物買いの銭失いは良くない。のだが、いかんせん新品のiMacなんぞ買おうものなら、何やかんやオプション付けると軽く20万くらいになってしまう。なぜなら後からメモリ増設、みたいなことができないので、長く使うためには初めからある程度スペックを盛っておく必要があるから。んー、20万くらい軽くポンと出せるような人生だったら良かったのに。

とか考えているうちに、またもや中古で良さげな個体を見つけたのでポチってみた。懲りずにまたもや、MBP mid2012である。今度の個体はHDDをSSDに換装済み。メモリは8Gだが16Gにするつもり。これで現像が捗るぞ~\(^o^)/しかし、またぶっ壊れブックプロmid2012だったらどうするか…どうするも何も、返品する以外選択肢ないが。そしたらもう中古は諦めて新品のiMac買うか?
とかなんとか考えていたところで、なんと「発送前にチェックしたところ、壊れているようで、起動しません。キャンセルとさせてください」という旨の連絡が。なんだそれ。壊れてるの分かってて送ってこられても困るから、まぁ良かったけれど(ちなみに1件目の業者は、「うちでチェックした感じだと不具合なんて発生しないので正常品です(お前の使い方が悪い、あるいはありもしない嘘を捏ち上げるな)」くらいの感じだったから二度と利用しない)。

さて、やはり新品のiMacかなぁ、しかしやっぱり高いなぁ、うーむ、と唸っていたところでまた良い感じの中古のMBPを発見。今までで一番安い。おまけに3ヶ月保証がつくとまで謳っている。興味本位でポチってみた。

ここまで来て漸く気づいた。これは最早こういう運命なのだ。こうするしかないのだ。つまりは、僕はアタリを引くまで、こうやって状態の良い中古のMBPを探し続けるしかないのだ。そしてメモリを増設し、HDDをSSDに換装して長く使うのだ。そうなる運命であるに違いない。どう考えても、それ以外に選択肢なんてないのだから。であるならば、運命に身を任せよう。何としてでも状態の良い中古品を探し当てよう。ハズレを引いたところで、返品すれば良いのだから、時間と手間はかかるけれどお金はかからない。そのためには、信頼できるところから買う必要はあるが。ヤフオクとかメルカリはダメ。

MBP mid 2012を改造して使うことに拘っているのには理由がいくつかあって、まず、このやり方が今現在考えられる中で最も安く(コスパ良く)ハイスペックなMacを手に入れる方法であるということ、そして、最新のMacを新品で買うと高いし、何より映像出力端子がThunderbolt3というクソ不便な新規格になってしまうので、データ移行するにも外付けディスプレイを使うにも、新しく変換ケーブルなりハブなりを買わなければならない羽目になるから、それが嫌だったのだ。できる限り、今現在のPC周りの環境を変えずに、PCのスペックを上げたかった。それだけだったのだ。可能であるならば、今のPCのメモリだけ16Gにできればそれで良いくらい。しかし現実的にはメモリが基板直付けだから増設不可能で、故にこのような自体に陥っている。

さて、結局MacBook Proの中古を買うのは三度目になってしまったのだけれど、二度ある事は三度ある、ではなく、三度目の正直。今度は普通に動いてくれた。むしろこれが当たり前なのではないかと思うのだけれど…中古のPCなんて所詮はそんなものなのだろうか。どうしても当たり外れがある。ハズレを引いたと思ったら、即返品。即返品できるよう、信頼できる筋から買う。これ鉄則。
半日かけてメモリ交換、SSD換装、リカバリー、データ移行を完了させ、

MacBook Air mid 2012 11-inch
プロセッサ 1.7GHz Intel Core i5
メモリ 4G
ストレージ フラッシュストレージ 64G

MacBook Pro mid 2012 13-inch
プロセッサ 2.5 GHz Intel Core i5
メモリ 16G
ストレージ SSD 500G


と一気にパワーアップした。本体が5万、SSDとメモリが3万くらいだったので約8万。同じくらいのスペックのMacBook Pro(Touch Bar・Touch IDなし、2.3GHz、メモリ16G、SSD512G)を新品で買うと22万強といったところなので、14万くらい得だった。コスパ最強。とはいえ、将来的に最新OSがインストールできなくなるし、改造しているからサポートの対象外になるし、といったデメリットはあるのだけれど。長く使えると良いな〜。今のところ、当たり前だけれど動作サクサクになりかなり快適。時間を金で買ったというところか。ここに辿り着くまでに時間かなり無駄になったけれど。