地方都市の夕景

音楽と写真

残り時間はあとどれくらいか 細胞に問う

全然更新しないままに10月が終わろうとしている!
妻と付き合ってから3年という記念日だったので、毎年恒例の秘密の屋上で2ショットを。
しかし、3年も関係が続いているなんて。何だか凄い。人と人との関係とは奇跡のようなものである。

台風は大丈夫でした。実家の近所では川が氾濫してたみたいだけど、実家は無事だった。良かった。
異常気象は温暖化のせい?今後は毎年ああいう大型の台風がくるのかもしれない。否、さらに強い台風が来ることも有り得る。何が起こるか分からない。未来のことは何もわからない。北朝鮮はまたミサイル発射したし。


ミニマリストになりたい願望みたいなのがあって、手始めに持ち歩く荷物を減らそう、流行りのサコッシュなんかに最低限の荷物だけ入れて外出しよう、なんて思っていたのだけれど、結局荷物を減らすのは無理だという結論になり、財布も三つ折りのコンパクト財布から長財布に戻した。レンズも55mmと35mmだけでなく、必要に応じて色々持ち出して使っている。その方が僕にとって自然だし、レンズの特性による効果やそれに基づく表現方法を使い分ける方が手っ取り早い。という当たり前の結論になった。サコッシュなんて小さ過ぎて使い物にならないよ!みんなよくあんなミニマルな荷物だけで外出できるな。財布、Wi-Fi、ハンカチ、カメラ、レンズ、フィルター、カメラの予備バッテリー、この時点でもう結構な荷物。向き不向きということを考えた。

いよいよフィルムカメラは持ち出さなくなった。デジタルも壊れるまでα7S1台で行く。というか最近あまり写真自体を撮っていない気が。撮っていないこともないけれど、以前より熱が冷めた感じはあるかもしれない。飽きたとか好きじゃなくなったということでもないけれど、最近は他の色んなことを考えなければならない時間が多かったからだろうか。あと天気悪い日が続いたからというのもある。写真がどうこうとはまた違った話だけれど、インスタをはじめSNSには辟易してきている。別に何かあったとかではないけれど、SNSの「繋がり」なんてクソの役にも立たないから。ゴールデン街にでも飲みに行って飲み仲間でも作った方が良いのだろうか。などと考える。


歳を取るのは自分の責任じゃないから仕方がないこと、と村上春樹は言っていたけれど、歳を重ねても何一つとして前に進んだり、何かを成し遂げたりできていないことは自分の責任なのではないかと思ってしまう。そもそもそんな必要なんてあるのかどうかわからないけれど。これがミッドエイジクライシス?
つくづく思うのは、僕はバリバリ働いてどんどんキャリアアップして年収を増やして…という仕事人間ではなく、ただただ目の前の仕事を淡々とこなしてそれなりに金を稼いで、仕事以外の時間で自分の好きなことをやって楽しむというタイプの人間であるということだ。おそらく僕に一番向いているのは公務員だろう。もっと早く気付いていれば…今更公務員試験の勉強なんてできないし、今からやって仮に公務員になったとしても、0からのスタートになってしまうから収入も減ってしまうし。

年内にはもうちょっとだけ広い家に引っ越せるから、色々落ち着いたら猫を飼おう。果たして新しい家で何年過ごせるだろうか。この前の台風は大丈夫だったけれど、怖いのは地震だな。かなり古い建物だから、首都直下型地震南海トラフ地震に耐えられるのかどうか。いつ起こるのか、どれくらいの規模の震災となり、建物にどれだけのダメージがあるのか。考えても仕方のないことばかり考えてしまう。未来のことなんて誰にもわからないのに。まぁ都心エリアが大規模に被災するようなことになったら、どこに住んでても一緒だと思うけれど。


何十年後にどうだとか、先のことの話ばかりされることが最近多かったから、自分の残り時間について考える。80まで生きるとして、あと50年弱くらい?どうなっちゃうんだろうね。誰にもわからない。明日死んでしまうかもしれない。そしてあの世には何一つとして持っていけない。また母親の夢を見た。末期癌で、もうそろそろやばい、みたいな夢だった。そんなのばかりだが。悲観的過ぎる?こういう人間だから仕方がない。日々を精一杯生きよう。