地方都市の夕景

音楽と写真

2020年に敢えてα7Ⅱを買うということ。そして写真の本質とは。

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毎日暑いですね。もううんざりです。夏よ、もう終わってくれても良いんだぞ?
今回は機材の話です。僕がメインで使っているカメラはSONYのα7Sという6年前くらいのミラーレス一眼なのだけれど、この度α7Ⅱというこれまた6年前くらいのカメラを買いました。古い型落ちのカメラが好きというわけでもないのだけれど、最新機種でなければならない理由もなくて、結果的にいつもこういうチョイスになってしまう。

写真のバリエーションを増やしていくにはどうすれば良いか。一番手っ取り早いのはレンズを替えること。しかしレンズはもう既に沢山持っていて、守備範囲外はマクロと望遠だけになった。とはいえフルサイズ用の望遠レンズはバズーカみたいな巨大なやつになってしまうし、マクロもビヨ~ンと伸びまくる細長いやつになってしまう。大きくて重い機材は嫌だ。APS-C用のレンズを使おう。しかし1200万画素のα7SでAPS-C用のレンズを使うとセンサーの真ん中だけを使うことになるため(クロップ)、500万画素程度となり、編集がちょっと厳しくなってしまう。じゃあどうするか。APS-Cのカメラか、あるいはクロップしても1000万画素くらい残るフルサイズのボディが欲しい。と、こういう流れでの導入だった。
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カメラを選ぶにあたって、撮像素子(イメージセンサー)の大きさというのは最も重要で、雑に言えば撮像素子が大きければ大きいほど写りが良くなる。スマホのカメラに使われている米粒くらいの撮像素子をはじめ、1インチ、マイクロフォーサーズAPS-C、フルサイズ、中判、大判など撮像素子には様々な大きさがあり、大きいほど値段も高い。一般的なデジタルカメラに搭載されているのはAPS-Cサイズだけれど、一度フルサイズを使ってしまうとあまりに写りが違うので「もうフルサイズ以外はありえない!」となってしまう。昔使っていたAPS-C機であるα6000を買い直そうかなとも一瞬思ったけれど、やっぱりAPS-Cはなし。そしてソニーEマウントのレンズしか持っていないし、他社に乗り換えることも絶対ないのでCanonRもNikonZもなし(どちらも結局はSONYの後追いでしかないと思っている)。じゃあやっぱりSONYのα7シリーズから選ぶしかない。α7シリーズを色々検討していくと

・初代α7 →初代シリーズのコンパクトさはとても好きなのだけれど、初代α7に関してはマウントの爪がプラで頼りない。あれ使ってるうちに削れてきて、そのカスがセンサーに付くから嫌なのです(改造するためのパーツが売ってたりするけど、ソニーはピントがズレたりするんでやめて下さいと言っている)。

・α7R、α7RⅡ →初代RはコントラストAFしか使えない。電子先幕シャッターも使えない?RⅡは4000万画素オーバーだけれど、ファイルが重くなり過ぎるしプリントもしないのでそんなに画素数いらない。

・α7SⅡ →初代Sを持っているので手振れ補正と4K動画しか違いがないⅡ型は無意味。センサーも同じなのでマジで買う意味がない。動画やる人にはめちゃくちゃ良いカメラだとは思う。

・α7Ⅲ、α7RⅢ、α7RⅣ、α7SⅢ、α9、α9Ⅱ →機能云々以前にそもそも高過ぎる。論外。

本当は初代のα7(2013年発売)の中古でも良かったのだけれど、最近初代α7は中古市場でそれなりに人気があるようで、出る度にすぐに売れてしまうといった状態が続いていた(と思う。僕の観測範囲内では)。ステイホームでマクロレンズが売れに売れている、なんて話もあったけれど、何か因果関係があるのだろうか。そして、初代とⅡ型とで中古市場では値段が殆ど変わらなかったので、それならⅡでも良いか、てな感じでⅡにした。初代とⅡとの違いは、Ⅱには本体に手ブレ補正機構がついて、その分少しだけ大きく、重くなった点、そしてシャッターボタンの位置などハード面に細かい変更があった点くらい。実際のところα7Ⅱでなければならない必然性があったわけでもなく、消去法で決めてしまった。あるいはⅡ型ってどんなもんなんだろうなぁ、ちょっと使ってみたい、というくらいの。まぁ大は小を兼ねる的な感じで、α7Ⅱがあれば初代α7は必要ないよね。あと細かい点で言えば、α7ⅡとⅢだけは撮影モード切り替えダイヤルが初代と同じ(これら以外の機種はダイヤルの真ん中のボタンを押してから回さないといけない。これは無意味と考える)という点もポイントだった。
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フルサイズでとにかく軽くて小さくて画質が良くて、となるとα7S以外あり得ないのだけれど、もちろん完璧ではない。α7Sの弱点は繰り返しになるがクロップすると500万画素程度になってしまうことと、コントラストAFしか使えない=AFが遅いこと。果たしてα7Ⅱでこれらの弱点を埋められるのか。結論から言ってしまえば、ちょっと期待外れだった感は否めない。
持ってみた感触としては、ちょっとボディがボテっと分厚くなって、100g程度とはいえズシリと重くなったなという印象。太ったというか厳つくなったα7。α7Sではいつも人差し指側のダイヤルをカリカリと回して絞りやシャッタースピードの変更をしていたのだけれど、α7Ⅱは人差し指側のダイヤルが硬くて回しづらく、たまに間違って電源スイッチを触ってしまいOFFにしてしまうこともある。そして、低感度だとα7Sより綺麗に撮れる気がするけれど、高感度はダメダメ。α7Sのようにサイレント撮影ができないのもたまにストレスになる。

勿論、2400万画素あるのでクロップしても1000万画素程度残るというのは余裕があってありがたいし、ある程度トリミングしてもそれなりに画質が保てるというのは下手糞としては嬉しい。しかしAFの遅さというのは大して変わらなかった。α7ⅡはファストハイブリッドAF=位相差とコントラストの組み合わせでAFが速いよ!と謳われていたが、α7Sと変わらないどころか、α7Sより遅いような気もする…。そして例えばDistagon35mmF1.4なんかはα7SだとAFが遅い上に不正確で使いづらかったのだけれど、それはα7Ⅱでも同じだった。がっかり。

とはいえ、他のカメラを使ってもこんなもんなんだから、やっぱりあとは腕だな~と思えたのは大きかったのかもしれない。もっと良い道具を使ったら自分の写真はもっと良くなるのでは?というのは、ある程度はそうなのだけれど、どこかに閾値があって、それ以上投資してもコスパが悪過ぎるよね、という地点が必ずある。カメラやレンズに限らず、例えばギターだってそうだし、自転車だってそうだし、家なんかもそうかもしれない。言わば幻想なのだ。そしてカメラメーカーはその幻想を売っているのだと思う。どれだけカメラのスペックが上がったところで、じゃあお前の写真は良くなるのか?というと限界がある。写真って結局は何をどう撮るかだから。お前の眼の前に何があるのか、どんな景色が広がっているのか、誰がいるのか。何のカメラを使うかなんて究極的には至極どうでも良い話でしかない。新しいカメラは、そんな当然のことを気付かせてくれた。そして、α7Sというカメラがいかに優れているのかということも教えてくれた。

α7Ⅱを購入するにあたって、旅行用にと思って以前導入したハイエンドコンデジRX1は売ってしまった。あれはあれで面白いカメラだったし、写りもとても良かったのだけれど、今後旅行に行ける見通しが立たなくなってしまったから…。完全に新婚旅行に行くタイミングを逃してしまった夫婦です。猫も飼い始めてしまったし。α7Ⅱも最終的には売ってしまうかもしれないなぁ。でもまだちょっと試したくらいの段階だから、長く使っていくうちにこのカメラの良さ、このカメラでなければならない必然性みたいなものが見えてくる日が来るのかもしれない。引き続きテストしていきます。
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僕は人生において、これ以上何かやりたいことがあるのかと言われると、パッと思いつかない。現状、割と毎日楽しく過ごしているし、どうしても欲しい何かがあるというわけでもない。人生の目標なんて一切ない。偉くなりたいとかも思わない。仕事で自己実現しようなんて思っていなくて、仕事はお金を稼ぐための手段でしかない。働いている時間以外が僕の人生であると思っている。
ただ、いざ何かをやりたいと思った時、何かが欲しいと思った時、躊躇なく使えるくらいのお金は欲しい。服とか、カメラとかレンズとか、エフェクターとか、猫を飼いたいとか。そんなに贅沢したいとかってわけでもない。高級ブランドには興味がないし、カメラも別に最新機種じゃなくて良いし中古で良い。猫も雑種の保護猫で良い(断られてしまったのでペットショップで買ったけれど)。食には全く興味がないので、ミシュラン三ツ星の高級レストランよりも近所の喫茶店の方が良い。そんな感じで、ゆるくマイペースに生きて死んでいけたら良いなぁ。でもそうはいかないのだろうとも思う。これから先、何がどうなるか分からない。事実は小説より奇なり。想像の斜め上を行く出来事が、これからも待ち受けているのだろうと思う。強く生きていこう。
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追記:ちょいちょいテストして、ちょっとだけ写真撮ったので今回の記事はα7Ⅱで撮った写真オンリーでお届けします。
まぁ機材が変わっても撮ってる人が同じなので、いつも通りな感じの写真ばかりだなという感じですね。写真とは結局機材ではなく腕なのだ。