地方都市の夕景

音楽と写真

猟奇的なキスを私にして

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タイトルはゲスの極み乙女。ですが、今回は不倫の話とかではなく。

ツイッターで例の写真を貼ったらアカウントをロックされてしまったので、はてブロでも同じようなことになるかも。ということで貼りはしないけれど、ちょっと検索したら出てくると思うので。先日起こった、新宿区でガールズバー店員の女性がホストの男性を刺して現行犯逮捕された、例の殺人未遂事件の写真。なぜあんな写真が流出しているのか分からないけれど、血塗れの女が全裸の男を刺した後で一服しながら電話している、あの写真に強い衝撃を受けてしまった。これこそが写真だ、これが本物だ、と思った。まるで映画のワンシーン、というか、あれはもう映画でしかない。ピューリッツァー賞ものじゃないかと本気で思う。ちなみにそれをモチーフにした曲まで作ってしまった。後日公開。

カメラがどうとかレンズがどうとか、フィルムだのデジタルだの、そんなことは全部どうでも良い。例えば東京カメラ部なんかで取り上げられているような、フォトショップで加工しまくった果てにCGみたいになっている、最早フォトショ選手権でしかないのではないか、というような「写真」は、あのスマホで撮られたと思われる猟奇的で衝撃的な写真に勝てるのだろうか。


ただ、猟奇的であれば良いとか、グロテスクな要素を含んでいれば良いとか、そういう話ではない。血糊を塗ってあれの真似をすれば良いとか言う話でもないのだ。それもやりたいけど(今回の写真はたまたま?二年前に撮っていた廃墟での写真。血だらけ、という共通項があったので。被写体は当時の彼女、つまり今の妻です)。

しかし写真とは何なのかという根本的な問いに対して、僕はあれこそが写真だと思ってしまった。あの圧倒的なリアルさ、生々しさを前にしたら、フォトショでバキバキに加工してCGみたいになってる写真にポエム添えて自己陶酔してるような奴らの「写真」なんてゴミでしかない。あれこそが!写真だ!と、思うくらいに衝撃を受けてしまったのでこの記事を書いた。

写真やってる人で、あの写真を見て何も感じなかったとしたら感性が腐っていると本気で思う。それでいて東京カメラ部のバキバキCG「写真」にいいねとかしてたらもう最悪。なんてのは嘘で、価値観は人それぞれだろう。例えとして分かりやすいから東京カメラ部を比較対象として出しただけで、東京カメラ部に特に何の恨みもありません。


僕に足りないのは狂気なのかもしれない。けれど、凡人が狂ったフリをするほど寒いものはないし、そんなのは見透かされてしまうものなので、結局の所自分は自分なりにやっていくしかない。のだけれど。

CGみたいな写真?絵?をつくる、それを黒いTシャツで頭に鉢巻巻いたラーメン店主みたいに俺の魂の一杯を喰らえ!これが作品じゃ!みたいにネットにアップする、ってなんか好きじゃないんだよな。SNS時代に写真で人気者になろうとすると、そういうやり方でやらないといけない、というのは分かるけれど。でももっとサラサラっとしていたいというか。あと、結果的にそうなってしまうのは仕方ないとして、他の人と同じような写真を撮りたくない。この構図、よく見るよね、みたいなやつ。以前から何回も書いているけれど、無意識にそういうところに影響を受けてしまうのが一番怖い。


カメラを持つと自分が何か特別な能力や才能を持っているかのように錯覚しがちだけれど、カメラって押せば写るってだけのものだから、ただ押しただけじゃ作品とは言えないし、何の意味も価値もない。機械の扱い方なんてのは当たり前の話で、それ以外の部分、とりわけファインダーの向こうにあるもの、そのもの自体が重要だ。だから通常、写真とは記録に使われるわけで。

結局の所、そんなに凄い景色や光景や瞬間が眼の前に現れることってそうそうないから、もしそういう場面に出くわした時、サッとカメラを構えて適切な設定で撮れるか、というところ。あとは、毎日通る何気ないそこら辺の道なんかから、いかに美しいものを見出していくか。つまりは着眼点と発想。


要するに、作り込まれたものよりも、リアルなものの方が僕は好きです、というだけの話で1800字近くも書いてしまった。ダラダラと長文書くの得意です。

実は、ちょっと前に書いた記事です。