地方都市の夕景

音楽と写真

november

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11月も半分くらい終わって、そろそろ今年も終わりそうだ。早いな。本当に、人生はあっという間に終わってしまいそうだ。

11/11の、THE NOVEMBERSのワンマンライブは物凄く良かった。心配になる位、かなり攻めたセットリストだったし、夢にまで見た新曲まで聴けた。待望の、というか最早待ち草臥れたニューアルバムは来春リリースされるらしい。3年も待たされた。


悲しいくらいに再生数伸びませんが、新曲配信中です。宣伝です。
Apple MusicでもSpotifyでも、その他サブスクリプションでも「amilamia」で検索したら聴けます。是非。

Gaze - Single

Gaze - Single

  • amilamia
  • ロック
  • ¥150

open.spotify.com


SoundCloud、暫く更新していなかったせいか、以前にも増して再生数が伸びなくなった気がする。あるいは、SoundCloud自体がもう流行っていないのかもしれない。
まぁ再生数が目的ではないし、それでは「Twitterのフォロワーを増やすのが目的」みたいに本末転倒な話になってしまうけれど、誰にも聴かれない音楽を作り続けているというのは、我ながらやや狂気じみているようにさえ思えてくる。誰も客のいないライブハウスのステージに立ち続けるアマチュアバンドみたいな。元々自己満足だし、自分のためだから、自分のために続けるけれど。僕が死んだら、葬式のBGMにでもしてください。

写真も同じで、被写体がいる場合には被写体のためというのもあるけれど、基本的には僕が撮りたいように撮るのだから、やはり自分のために撮っている。つまりは自己満足の趣味である。人のために写真を撮るということもたまーにあるけれど。というかそもそも趣味って何でも自己満足か。仕事じゃないんだから。このブログだって、自分のために書いている。勿論、ある程度は読んでくれる人がいることが前提だけれど、読者のためだけに書くということはない。
もっと趣味の仲間とかを作って、外に開いていった方が良いのだろうかとかもたまに思う。でもそういうの苦手なんだよな…。人間性を疑われそうだけれど、あんまり他人に興味ないし…。馴れ合いで、大して良いとも思っていないものを「良いですね!」みたいに言ったり、言われたりもしたくない。でも世の中で上手いこと生きていくには、そういうのが大事なのだろうか。自分の写真にも、他人の写真にもシビアでいたい。


あの人が上司/客/取引先/その他の利害関係人でなかったならば、とっくにボコボコに殴り倒している、あるいはめった刺しにしている、というような、嫌い/ムカつく/消えて欲しい/○したい/くらいに不快であったり激しい怒りを覚えるような人間というのは、誰にでも、どんな環境で生きようとしても必ずいるものなのだろうと思う。僕はそういう奴を、何回もナイフでめった刺しにしている。何度も何度もボコボコにしている。脳内で。勿論、現実にはそんなことはできない。だから今日も脳内でボコボコに殴り倒す。俺はお前を許さん。そういう気持ちというのは、写真で表現するよりも音楽の方が形にしやすい。単純に激しい曲にしたり、そういう内容の歌詞にすれば良いから。
というか写真で何かを表現したことなんてあっただろうか。写真表現って何だ?写真は所詮写真だ。見た人が好き勝手に解釈すれば良いと思っている。なんだか、中身の無い人間が中身の無いことをしている、下らない虚栄のような気もするけれど、まぁ仕方ない。僕は凡人だから。

いつまで今の職場で働けば良いのか。というか、いつまで働けば良いのか。いつまで生きれば良いのか。

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傷ついたり傷つけられた分だけ、自分だけは他人に優しくありたいと思うけれど、それももう限界かもしれない。こんな世界でも何とか生きなければならない。