地方都市の夕景

音楽と写真

Nom de fleur

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バンドは辞めましたが、作曲自体はコツコツと密かに続けており、2020年9月12日、新しい作品をリリースしました。




不確かな時代を生きるということをテーマに、僕なりのシューゲイザーやドリームポップを突き詰めた全7曲です。

実は、引き籠もってばかりいる昨今なので3rd EPもほぼ録り終わっているし、4th EPも構想が出来上がってしまっています。その先は全く何も考えていないけれど。今現在形にできそうな4th EPまで作ったら、宅録プロジェクトは一旦お休みにしようかななどと考えています。インプットなくしてアウトプットはないし、自分でもどんな形になるのか分からないような作品でなければ作る価値もないと思うので。

2020年に敢えてα7Ⅱを買うということ。そして写真の本質とは。

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毎日暑いですね。もううんざりです。夏よ、もう終わってくれても良いんだぞ?
今回は機材の話です。僕がメインで使っているカメラはSONYのα7Sという6年前くらいのミラーレス一眼なのだけれど、この度α7Ⅱというこれまた6年前くらいのカメラを買いました。古い型落ちのカメラが好きというわけでもないのだけれど、最新機種でなければならない理由もなくて、結果的にいつもこういうチョイスになってしまう。

写真のバリエーションを増やしていくにはどうすれば良いか。一番手っ取り早いのはレンズを替えること。しかしレンズはもう既に沢山持っていて、守備範囲外はマクロと望遠だけになった。とはいえフルサイズ用の望遠レンズはバズーカみたいな巨大なやつになってしまうし、マクロもビヨ~ンと伸びまくる細長いやつになってしまう。大きくて重い機材は嫌だ。APS-C用のレンズを使おう。しかし1200万画素のα7SでAPS-C用のレンズを使うとセンサーの真ん中だけを使うことになるため(クロップ)、500万画素程度となり、編集がちょっと厳しくなってしまう。じゃあどうするか。APS-Cのカメラか、あるいはクロップしても1000万画素くらい残るフルサイズのボディが欲しい。と、こういう流れでの導入だった。
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カメラを選ぶにあたって、撮像素子(イメージセンサー)の大きさというのは最も重要で、雑に言えば撮像素子が大きければ大きいほど写りが良くなる。スマホのカメラに使われている米粒くらいの撮像素子をはじめ、1インチ、マイクロフォーサーズAPS-C、フルサイズ、中判、大判など撮像素子には様々な大きさがあり、大きいほど値段も高い。一般的なデジタルカメラに搭載されているのはAPS-Cサイズだけれど、一度フルサイズを使ってしまうとあまりに写りが違うので「もうフルサイズ以外はありえない!」となってしまう。昔使っていたAPS-C機であるα6000を買い直そうかなとも一瞬思ったけれど、やっぱりAPS-Cはなし。そしてソニーEマウントのレンズしか持っていないし、他社に乗り換えることも絶対ないのでCanonRもNikonZもなし(どちらも結局はSONYの後追いでしかないと思っている)。じゃあやっぱりSONYのα7シリーズから選ぶしかない。α7シリーズを色々検討していくと

・初代α7 →初代シリーズのコンパクトさはとても好きなのだけれど、初代α7に関してはマウントの爪がプラで頼りない。あれ使ってるうちに削れてきて、そのカスがセンサーに付くから嫌なのです(改造するためのパーツが売ってたりするけど、ソニーはピントがズレたりするんでやめて下さいと言っている)。

・α7R、α7RⅡ →初代RはコントラストAFしか使えない。電子先幕シャッターも使えない?RⅡは4000万画素オーバーだけれど、ファイルが重くなり過ぎるしプリントもしないのでそんなに画素数いらない。

・α7SⅡ →初代Sを持っているので手振れ補正と4K動画しか違いがないⅡ型は無意味。センサーも同じなのでマジで買う意味がない。動画やる人にはめちゃくちゃ良いカメラだとは思う。

・α7Ⅲ、α7RⅢ、α7RⅣ、α7SⅢ、α9、α9Ⅱ →機能云々以前にそもそも高過ぎる。論外。

本当は初代のα7(2013年発売)の中古でも良かったのだけれど、最近初代α7は中古市場でそれなりに人気があるようで、出る度にすぐに売れてしまうといった状態が続いていた(と思う。僕の観測範囲内では)。ステイホームでマクロレンズが売れに売れている、なんて話もあったけれど、何か因果関係があるのだろうか。そして、初代とⅡ型とで中古市場では値段が殆ど変わらなかったので、それならⅡでも良いか、てな感じでⅡにした。初代とⅡとの違いは、Ⅱには本体に手ブレ補正機構がついて、その分少しだけ大きく、重くなった点、そしてシャッターボタンの位置などハード面に細かい変更があった点くらい。実際のところα7Ⅱでなければならない必然性があったわけでもなく、消去法で決めてしまった。あるいはⅡ型ってどんなもんなんだろうなぁ、ちょっと使ってみたい、というくらいの。まぁ大は小を兼ねる的な感じで、α7Ⅱがあれば初代α7は必要ないよね。あと細かい点で言えば、α7ⅡとⅢだけは撮影モード切り替えダイヤルが初代と同じ(これら以外の機種はダイヤルの真ん中のボタンを押してから回さないといけない。これは無意味と考える)という点もポイントだった。
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フルサイズでとにかく軽くて小さくて画質が良くて、となるとα7S以外あり得ないのだけれど、もちろん完璧ではない。α7Sの弱点は繰り返しになるがクロップすると500万画素程度になってしまうことと、コントラストAFしか使えない=AFが遅いこと。果たしてα7Ⅱでこれらの弱点を埋められるのか。結論から言ってしまえば、ちょっと期待外れだった感は否めない。
持ってみた感触としては、ちょっとボディがボテっと分厚くなって、100g程度とはいえズシリと重くなったなという印象。太ったというか厳つくなったα7。α7Sではいつも人差し指側のダイヤルをカリカリと回して絞りやシャッタースピードの変更をしていたのだけれど、α7Ⅱは人差し指側のダイヤルが硬くて回しづらく、たまに間違って電源スイッチを触ってしまいOFFにしてしまうこともある。そして、低感度だとα7Sより綺麗に撮れる気がするけれど、高感度はダメダメ。α7Sのようにサイレント撮影ができないのもたまにストレスになる。

勿論、2400万画素あるのでクロップしても1000万画素程度残るというのは余裕があってありがたいし、ある程度トリミングしてもそれなりに画質が保てるというのは下手糞としては嬉しい。しかしAFの遅さというのは大して変わらなかった。α7ⅡはファストハイブリッドAF=位相差とコントラストの組み合わせでAFが速いよ!と謳われていたが、α7Sと変わらないどころか、α7Sより遅いような気もする…。そして例えばDistagon35mmF1.4なんかはα7SだとAFが遅い上に不正確で使いづらかったのだけれど、それはα7Ⅱでも同じだった。がっかり。

とはいえ、他のカメラを使ってもこんなもんなんだから、やっぱりあとは腕だな~と思えたのは大きかったのかもしれない。もっと良い道具を使ったら自分の写真はもっと良くなるのでは?というのは、ある程度はそうなのだけれど、どこかに閾値があって、それ以上投資してもコスパが悪過ぎるよね、という地点が必ずある。カメラやレンズに限らず、例えばギターだってそうだし、自転車だってそうだし、家なんかもそうかもしれない。言わば幻想なのだ。そしてカメラメーカーはその幻想を売っているのだと思う。どれだけカメラのスペックが上がったところで、じゃあお前の写真は良くなるのか?というと限界がある。写真って結局は何をどう撮るかだから。お前の眼の前に何があるのか、どんな景色が広がっているのか、誰がいるのか。何のカメラを使うかなんて究極的には至極どうでも良い話でしかない。新しいカメラは、そんな当然のことを気付かせてくれた。そして、α7Sというカメラがいかに優れているのかということも教えてくれた。

α7Ⅱを購入するにあたって、旅行用にと思って以前導入したハイエンドコンデジRX1は売ってしまった。あれはあれで面白いカメラだったし、写りもとても良かったのだけれど、今後旅行に行ける見通しが立たなくなってしまったから…。完全に新婚旅行に行くタイミングを逃してしまった夫婦です。猫も飼い始めてしまったし。α7Ⅱも最終的には売ってしまうかもしれないなぁ。でもまだちょっと試したくらいの段階だから、長く使っていくうちにこのカメラの良さ、このカメラでなければならない必然性みたいなものが見えてくる日が来るのかもしれない。引き続きテストしていきます。
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僕は人生において、これ以上何かやりたいことがあるのかと言われると、パッと思いつかない。現状、割と毎日楽しく過ごしているし、どうしても欲しい何かがあるというわけでもない。人生の目標なんて一切ない。偉くなりたいとかも思わない。仕事で自己実現しようなんて思っていなくて、仕事はお金を稼ぐための手段でしかない。働いている時間以外が僕の人生であると思っている。
ただ、いざ何かをやりたいと思った時、何かが欲しいと思った時、躊躇なく使えるくらいのお金は欲しい。服とか、カメラとかレンズとか、エフェクターとか、猫を飼いたいとか。そんなに贅沢したいとかってわけでもない。高級ブランドには興味がないし、カメラも別に最新機種じゃなくて良いし中古で良い。猫も雑種の保護猫で良い(断られてしまったのでペットショップで買ったけれど)。食には全く興味がないので、ミシュラン三ツ星の高級レストランよりも近所の喫茶店の方が良い。そんな感じで、ゆるくマイペースに生きて死んでいけたら良いなぁ。でもそうはいかないのだろうとも思う。これから先、何がどうなるか分からない。事実は小説より奇なり。想像の斜め上を行く出来事が、これからも待ち受けているのだろうと思う。強く生きていこう。
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追記:ちょいちょいテストして、ちょっとだけ写真撮ったので今回の記事はα7Ⅱで撮った写真オンリーでお届けします。
まぁ機材が変わっても撮ってる人が同じなので、いつも通りな感じの写真ばかりだなという感じですね。写真とは結局機材ではなく腕なのだ。

猫との生活

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突然ですが家族が増えました。

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2週間ほど前から、ずっと飼いたいと思っていた猫と一緒に暮らしています。猫はいいぞ。
アメリカンショートヘアの女の子、名前は「ゆず」。年齢は5ヶ月ほど。まだまだ子猫なので放っておくと何をするかわからないし、ペットショップの猫はケージが身を隠せる憩いの場になるということで、暫くはケージ飼い。猫グッズも一通り揃えたし、ペット保険にも入った。

本当は保護猫をもらいたくて、実際に保護猫に会いにも行ったのだけれど、夫婦共働きで昼間誰も面倒を見れないというのがダメらしく、その猫は他の人にもらわれることになってしまった。小顔で手足やしっぽの長い、美人な黒猫だった。

それならばペットショップで買うしかないか、ということで、地方で売れ残っていたちょっと小柄なアメリカンショートヘアの子猫を都内の店舗にお取り寄せ。最初にペットショップで膝の上に乗せて撫でた時からゴロゴロ喉を鳴らすという人懐っこさ。キャリーケースにもすんなり入り、新しい家にもすぐに慣れた。トイレも一発で覚えた。ご飯も多少残しながらも、時間をかけて全部食べた。偉いぞゆず!とか思っていた束の間、5日目の夜、突然嘔吐して、ご飯も食べなくなる。翌日、さらに嘔吐して元気もなさそうだったので妻が動物病院へ連れて行ってくれた。結局、環境の変化によるストレスだろうということで、薬を飲ませて様子を見る。人懐っこくて甘えん坊なゆずでも、彼女なりにストレスを感じていたらしい。なんやかんやで体調は回復し、今では漸く慣れてきたのか、やや図々しくさえなってきているような。そしてトイレ掃除などしている隙にケージから脱走、リビングを猛スピードで走り回ったりしている。たまに高い声で「ニャッ」と短く鳴く。かわいい。

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飼い猫は自分では何もできないし、にゃんぱく宣言じゃないけれど、本人以上にこちらが気にかけてケアしてあげなければならない。それにも関わらず、猫は単独で生活する生き物だから他者に忖度することはないし、生きたいように生きるだけだ。人間に感謝するなどという発想はそもそもない。猫様は自分の好きなように生きる。基本的にはしつけという概念はなく、人間の側が合わせてあげるしかない。例えば、コードを齧られたくなければカバーをつける。狭い隙間に入って欲しくなければ隙間を塞ぐ。壁で爪とぎされたくなければ爪とぎ防止用のシートを貼る、等々。

繰り返しになるけれど、猫様は人間の思い通りに動くことはない。折角買ってあげたやわらかクッションも、ひんやりパッドも使わず、ケージの床にそのまま寝ている。ゆずは固くて冷たいところで寝るのが好きみたいだ。ハンモックだけはたまに使ってくれている。爪とぎはあまり使わない、というか爪とぎ自体をあまりしないような(見てないところでやってるのかな?)。猫じゃらしはなぜか本体ではなく紐の部分を齧ったり、柄の部分を齧ったりして壊してしまう。少し前はあんなに夢中だったおもちゃに今は見向きもしなくなる。と思ったら深夜にまたそのおもちゃで一人遊びしている。自由だ。

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猫は明日の心配をすることも将来の心配をすることもない。ただ今を生きているだけだ。彼女を見習って、僕も先のことをあれこれ心配するのではなく、もっと今を楽しんで、流れに身を任せるように生きようなどとちょっと思った。とはいえ、少なくとも君が生きている間は、君にご飯を食べさせるために働いてお金を稼がないとね。

今までとこれから

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またもや全然更新してない間に、世界は変わってしまいましたね。そしてもう元には戻らない。

はてブロは写真のアップの仕方が独特だから、そこでワンクッション挟まってしまうのが煩わしいというか、更新のハードルが上がってしまうきらいがあって、いっそ別サービスに乗り換えようかなという気持ちもあるけれど、それはそれで面倒だ、ということで当面はここでやっていく。

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潔癖に生きなければならなくなってしまった世界で、果たしてこれからやっていけるのかどうか。今までの全ては、今まで通りでは通用しないのだろう。
僕はといえば、4月上旬に頭痛と微熱があって、風邪だかコ○ナだか分からないねということで1週間ほど休んだ以外は元気でした。あと後述する熱中症になってしまった以外は。思えば、ナンバーガールが”異常空間Z”で無観客ライブをやっていたあたりから、状況はどんどん酷くなっていった。街からマスクが消え、トイレットペーパーが消え、店先には消毒液が置かれ、電車の窓は開けっ放しになり、レジにはビニールの膜がかかり、店員はゴム手袋をするなど。三密とかソーシャルディスタンスとか新しい時代の新しい言葉が生まれる。給食当番みたいなマスクが国から配られる。公明党のゴリ押しが功を奏し10万円が配られる(まだ来ていないけれど)。ありとあらゆる人が集まるイベントが悉く延期・中止になる。今年はライブに行けないまま終わるのか。ノーベンバーズのツアーも延期からの中止になってしまった。

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日本は漸く収束しそうだね、みたいな雰囲気になっているけれど、まだまだこれからなんじゃないかと思う。気の緩みからの第二波、第三波、あるいは今後新種・変種が出てくる、など色んなことが考えられる。三密の極みである飲食店なんかも営業を再開していて、もちろんマスクなんてしてたら飲食はできないから、お客さんはみんなノーマスク。これでは、ワクチンができない限りは流行したり収束したりをいたちごっこのように繰り返していくしかないのではないかと思ってしまう。

ちなみに僕はマスクは持ち歩きはすれど、基本的には着けていない。先月、最高気温が30度近い日に仕事でジャケットを着てマスクした状態で働いていたら、出先で熱中症になってしまったからだ。何か吐き気がするな、空腹だからかな?というところから始まり、段々身体が痺れてきて力が入らなくなり、汗も止まらなくなった。顔色も悪いということで、出先のオフィスで横になって少し休ませてもらっていたのだけれど、ここでこのまま死なれても困るということで119。初めて救急搬送された。受け入れ先の病院はベッドに空きがないということで、担架に乗せられたまま処置室の一角で寝かせられ、採血、点滴をやって帰宅。実際のところ、病院に着く頃にはもう殆ど良くなっていたのだけれど。しかし救急車の中で揺られている間は吐き気が倍増した。全ての乗り物の中で車が一番酔う。

まぁどう考えても真夏にマスクなんて、どんなに涼しい素材ですよ、と言ったって暑いだろう。そして通気性の良いマスクってマスクとしての機能を果たさないだろうし。とはいえ、飛沫防止とかじゃなくて、最早マスクとは外出許可証みたいな役割になっており、お店に入るときとかはマスクしてないと駄目、みたいな風潮というか同調圧力というかそういったものの上に存在している何かでしかない。俺たちは雰囲気でマスクを着けている。

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緊急事態宣言中は交代勤務や時短勤務になって、御多分に漏れず、暇な時間が多かった。時間は有り余っているけれど、何となく無気力で何も手に付かないし、かといってジムもカラオケも空いてないし、自粛ムードで外出も憚られるから写真も撮りに行けないし、八方塞がりみたいな感じがあって、この期間がずっと続くときついなという感じだった。とはいえ、どこか、これがずっと続いて欲しいという気持ちもあった。ロクに働いていないのにいつもと同じだけの給料がもらえるなんて。サラリーマン万歳。5月は時給換算すると物凄くコスパが良かったということになる。

今月に入って世の中が少しだけ通常営業に戻って、朝の電車も混んできた。こうなると、先月はなんて幸せだったのだろうなどと思ってしまう。モラトリアムのような期間。ちょっと早い夏休み。ジムも営業を再開したけれど、ジムに行くというのはもう無理だろうと思って辞めてしまった。体力も落ちたし筋肉も落ちたし、カラオケにもずっと行っていないから声も出なくなっているだろう。人として駄目になってしまったという気分。せめてもの運動ということで、職場から家までは歩いて帰っている。音楽を聴きながらだと割とあっという間。

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自粛中暇なので久しぶりに曲でも作るか、というところで、エフェクターをいくつか売ったり買ったりした。あとiTuneがiPhoneを認識しない問題というのがあって、調べたところMacのOSをアップデートしなければならないとのことで、本当は一生High Sierraから変えたくなかったのだけれど仕方なくMojaveへ。しかし予想外の展開。使っていたオーディオインターフェースがMojaveに未対応で使えなくなってしまう。仕方ないのでオーディオインターフェースまで買い換える羽目に。オーディオインターフェースを買い替えたところ、今度はCubaseから音が出なくなるという新たな問題が。こちらはオーディオインターフェースの仕様の問題だったのですぐに解決したのだけれど。一箇所歯車を弄ると、それと連動して様々な歯車が噛み合わなくなっていくというの、何回もやっている気がする。きっとこれからも何回もこういうことはある。

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新しい時代に適応して、順応して、古いものは乗り越えていかなければならない。何にしても。今は時代の大きな転換点なのだろう。たぶん。