地方都市の夕景

音楽と写真

地方都市の夕景・2018

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今年も残り僅か。今年も一年ありがとうございました。

いつもながらマイペースな更新で、かつ書いている内容も僕のプライベートな日記といった風情で、殆ど読んで下さる方の参考にはならないようなブログですが、僕が目指しているのはまさにそこだったりします。「○○するための7つの方法!」「○○なら知っておくべき10のポイント!」とかそういうネット上によくあるような中身のないゴミ記事ではなく(このブログも中身はないですが)、昔のインターネットによくあった、有名人でもなんでもない、どこかの誰かの普通の日記というのが僕は好きなので。
ここは日本のどこかに住んでいる、写真と音楽が好きな普通の人間の、ただの日記です。何かに参考になるとかならないとか、そういったものではありません。ほぼ100%自分のために書いています。写真と同じで、記録という役割。

今年も沢山写真を撮った。曲はあまり作らなかったけれど、一枚のアルバムという形で作品を作ることができた。今回の写真は今年撮った写真のうちのベストショット、ではなく、最近撮ったもの。最新作にしか興味がないのです。というかベストショットってなかなか選べないので…。

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今年買った機材としては、

SONY DSC-RX100
SONY Distagon35mmF1.4 SEL35F14Z
SONY Vario-Tesser16-35mmF4 SEL1635Z
SONY FE85mmF1.8 SEL85F18
CONTAX Sonnar135mmF2.8
COSINA Planar50mmF1.4ZF

といった感じ。色々買ったなぁ。一気に装備が増えた。気付けばソニーの無印85mm以外は全部ツァイスだった。でも無印85mmはツァイスのBatis1.8/85(タムロンOEM)より画質が良いらしいから、実質ツァイス!


まずカメラは常に持ち歩くためのサブカメラ、初代RX100というコンデジ。これはちょっと出かける時や、カメラを持っていけない時、仕事中もずっと持ち歩いて、気になるものがあったらパチパチ撮っている。軽くて小さくてよく写る。ファインダーのある3代目と迷ったけれど、初代が一番小さくて軽くて画質も良いらしく、さらにレンズの画角が28-100mmなので初代にした。

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レンズはα7SのためにSONYの無印85mmF1.8とCONTAXのSonnar135mmF2.8といういずれも中望遠の2本と、Distagon35mmF1.4とVario-Tesser16-35mmF4という広角の2本。そして妻から借りているNikon FEのためにCosina製Planar50mmF1.4(結局アダプターをかましてα7Sで使っている)、あとはフィルターとか、ラジオスレーブとか、細かい撮影グッズをいくつか。

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機材は減らしたい減らしたいと思いつつも、増えていってしまう。こういう写真が撮りたい、あるいはいつもと違った写真が撮りたい、というのを機材で解決しようとするとそうなる。けれど、機材で解決できることも多いというのは事実。もとい、その機材がないと撮れない写真というのも間違いなくある。ここらへん、エフェクターと考え方が同じ。アンプ直ではリバースディレイやシマーリバーブの音は出せない。
自分で実際に使ってみないと分からないことも多くて、疑いを持っていた「ポートレートには中望遠レンズの方が良い」という言説は本当だった。歪みがなくて、ボケが大きいから。しかし人の多い街中での撮影だと難しい場面も多いというのは予想通り。そして広角レンズはやはり1本あると便利。毎回使うものではないけれど、「ここは広角だな」という場面というのは少なからずある。しかし何だかんだ、50mm付近の標準域のレンズが一番使いやすい。Sonnar55mmF1.8(SEL55F18ZA)というレンズが一番好き。軽くてコンパクトで良く写る。α7ユーザーは必携の1本。
来年は何も買わないのが目標。しかしズームレンズは1本欲しいかな。タムロン?ツァイス?シグマの135mmとかソニーの70200のズームとかはお店で実物見たら流石にでか過ぎるから諦めがついた。コンパクトな35mmも欲しい。Sonnar35mmF2.8買い直す?とはいえF1.4があるしなぁ。AFは必須なのでVoigtlander NOKTON 35mmF1.4とかはないかな。あれ、写りは好きな感じだけど。しかしまぁ無駄な浪費をしないのが一番の正解な気がする。

大砲。諦めました。
シグマ 135mmF1.8DG HSM Art ソニーEマウント 135mmF1.8 DG SE

シグマ 135mmF1.8DG HSM Art ソニーEマウント 135mmF1.8 DG SE

流石に重過ぎるだろう。どうやって持ち運ぶのか…。こりゃあ、使ってる人見かけないわけだ。写りは好きな感じなのだけれど、やっぱりAFじゃないとなぁ。去年もこれが良い、って書いた気がしますが、やはり一番バランス良いです。


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去年の11月〜今年の11月までの1年間で撮ったポートレートをまとめた写真集を作っている。オンデマンド印刷で少部数しか刷らない(刷れない)ので販売はしないけれど、自分の中では大切な作品となりそう。目下、セレクトに難儀しているところ。
次はどんな作品を作ろうか。写真を撮る目的として、写真集にまとめるというゴールを設定していく方が、撮影そのもののコンセプトを固めやすくて良いような気がしている。撮影に際して一本軸が通っていた方が、的を絞れるから。ポートレートはある程度やりきった感があるので、今後はスナップとか風景とか、そういう方向性で模索していきたい。同じようなことを繰り返すのは好きじゃないけれど、良い被写体が見つかったら人物も撮っても良いかも、とも思ってはいるけれど。
どうしても、川島小鳥の写真集とかが好きで始めたから、人物写真こそが至高!みたいな極端な思考で写真を撮っていたし、そう思っていたけれど、実際はそんなことはない。人物の方が誤魔化しが効くというか、撮る方が下手糞でも被写体の力によって何とかなってしまうことが多いというだけ。つまりは今までの写真というのは僕の実力ではなかったのだ。とも言える。夕焼けの写真は誰がどう撮っても綺麗なのと同じように。

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そろそろ冷蔵庫で眠っているフィルムを使ってしまわないと、期限が切れてしまうので、最近はまたフィルムで撮るようにしている。フィルムだとレンズが50mmと35mmの2本しかないので楽だ。機材は少なければ少ないほど良い。少ない機材で頑張ろうとすると、何をどう撮るか、に集中できる。例えば多重露光をしてみようとか、そういう発想が出てくる。制約があるからこそ発揮できるクリエイティビティというやつ。デジタルだとレンズが沢山あるから、レンズ交換でなんとかしようという思考になりがち。そういえばデジタルだと、多重とか全然やらないなー。α7Sを買ったばかりで、ヘリオスとかタクマーとかのオールドレンズしかなかった頃はやってたけど。多重はその場で一発撮りでやるのが好き。あとから編集で重ねようとするとダサくなることが多い(当社比)。

デジタルか、フィルムか、どちらを持ち出すべきか、どちらで撮るべきか、と悩むのが毎度面倒で嫌なので、いずれ完全にデジタルオンリーのワークフローにしたい。という気持ちもありつつも、フィルムもたまに使うと面白いし、奇跡の一枚が出ることがあるから、やはり完全にはやめられない。結局今後も曖昧な感じで運用していくことになりそう。暫定的な処置として。
Canonのレンズが2本あるから、Canonの(デジタルの)ボディを買っても面白いかも、なんてちょっと思ったりした。5Dm2とか、6Dとか。しかしα7Sがメインである以上、レンズが共用できないことを考えるとちょっと使いづらい。それだと結局、どちらを持ち出すべきか、と悩むことになってしまい本末転倒だ。やはりマウントは1つに絞るべきで、複数のメーカーのカメラを使うのは避けるべきだ。Canonフィルムカメラもレンズも売ってしまって、その分SONYのレンズでも買った方がトータルでは安く済むのかも。いやそもそも何も買わない方が、とか色々余計なことを考えてしまう。機材のことじゃなくて、写真そのもの、何をどう撮るのか、つまりファインダーの向こうにあるもののことを考えるべきなのに。機材のことを考えなくても良くなるようにするために、機材のことを考えている。

色々細かいことに拘ろうとすれば、どこまででも拘れてしまうし、色んな人の言うこと、色んな所に書いてあることを全て真に受けていたらキリがないから、いかに諦めるか、だと思う。α7Sさえあれば、ストロボも基本的にはいらないし、レフ板もいらないし、暗くても手持ちで撮れるから三脚もいらない。あとは例えば多灯ライティングなんてする意味も必要性もないし、そもそも街撮りでは不可能だ。ミラーレスの優位性である軽さ・小ささを生かした機動性重視の撮影を。そもそも作り込んだ撮影をすることってないし、僕の写真はスナップ的な要素が強い。一瞬の光を捉えて掬い取るのだ。決定的瞬間!

アンリ・カルティエ=ブレッソン:20世紀最大の写真家 (「知の再発見」双書)

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全ては写真と同じ。選択と集中。引き算。何を選ぶか、そして要らないものをいかに切り捨てるか、だ。
技術も勿論だけれど、それより感性の部分の方が重要。技術論というのはある程度決まりきっているものだから、誰でも勉強なり練習なりすれば身につくものだけれど、感性を磨くということには決まりきったやり方はないし、一朝一夕にどうにかなる話ではない。技術とは表現に資するもの。自分の表現を見つけていくためには、何よりも感性を磨くことに徹するべきだ。

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引っ越して彼女と暮らし始め、結婚して夫婦になったというのと、母が亡くなったというのが、やはり今年のハイライトか。こんな表現でまとめたくなんかないけれど。あとここでは書けないけれど仕事でも色々あった。妻とは毎日会うし、亡くなった母のことを考えない日はないから、これらのことは僕の日常において大きな事件であり、つまりは僕の人生そのものである。妻の写真はいつでも撮れるけれど、母の写真はもう撮れない。妻の曲は作らなかったけれど、母に捧げるアルバムは作った。考えても仕方の無いようなことばかり考えてしまう。いつかは僕も死ぬのだ。当たり前だけれど。来年も生きましょう。来年も地方都市の夕景を宜しくお願い致します。
それでは、ちょっと早いですが良いお年をお迎え下さい。

BABY BABY

BABY BABY