地方都市の夕景

音楽と写真

インスタっぽい写真

この意見と同様に、インスタというSNS、メディア、プラットフォームに固執してしまうと、インスタに最適化された写真しか撮れない、インスタでよく見る感じの写真しか撮れない、延いては写真を撮る目的が「インスタでウケること」になってしまうのではないか、そしてそれは自分の視野や可能性を狭めるのではないか、という危惧から、とりあえず所謂インスタっぽい写真ばかり上げているアカウント(東京カ◯ラ部とかそういうやつ)は全部リムーブして、見ないことにした。インスタにもミュート機能が導入されるらしいが、実装までに時間がかかるようなので、当面はこういった対応で。
追記:ミュート機能が実装されたので、今現在はフォローした上でミュートしている。

そもそもインスタっぽい写真ってなんだろうと思った時に、それはつまりスマホの対角4インチとか5インチとかの(小さい)画面で見た時に見栄えが良い、見やすい、分かりやすい写真、ということになるのだろう。組写真ではなく1枚完結型の写真。彩度高めの派手な色に加工した繁華街。逆光で盛大にフレアが出てる夕焼けの海。写ルンですとかオリンパスペンとかのかわいいカメラを構えた笑顔の女の子。海に半身浸かりながらドライフラワー持ったり電飾巻きつけたりしてる女の子、等々。パッと見で誰が見ても「おっ、良い写真」と思うようなやつ。
そういう写真と、自分の撮りたい写真とが一致しているのなら良いけれど、どうやら僕が撮りたいのはそういう写真とは少し違うようだ。そして、その「僕が撮りたい写真」というのは「写真集」という形にした時に一番映えるのではないかという仮説を立てた。仮説の検証のため、今後は積極的に写真集を作っていきたい。販売とか展示とかするのかは不明だけれど、これは基本的にアナログな物質なので、いいねもつかないし拡散されることもない。フィーチャーもされない。何のために作るのか?勿論、自分のためである。今迄撮り貯めてきた人物写真、スナップ、花、風景、などテーマはいくらでもある。人間が全く出てこない写真集、とかも良いかも。ピントが合ってない写真しかない写真集とか。

芸術とはそもそも競争ではないし、他人と比べるものではないのだけれど、SNSだとどうしてもいいねの数やらフォロワーの数やらフィーチャーやらで競争的な側面が否定できない。それがモチベーションになっていく時もあるけれど、同時に疲れてしまう時もある。何を隠そう、僕もちょっと疲れてきてしまっている。所謂インスタ疲れ。今やそれほどまでにインスタグラムというSNSは強い影響力を持っているのだなとは思う。だからこそ、そこから一旦離れないと自分の写真は深化発展していかないのではないかと思う。