地方都市の夕景

音楽と写真

stop brain

最近文章が適当になってきてしまっているので、ちゃんと書こう。考えていることや思っていることを、ここに吐き出そう。

気付いたら、今の職場に入って数年が過ぎていた。単調な仕事だ。所謂ルーティンワークであり、定型的な仕事が殆どだ。それはそれで、ある意味では悪くはない。しかし、その一方で勿論短所もあり、それはルーティンワークであるがゆえに、思考停止状態に陥り易いという点だ。否、既に僕は思考停止状態なのではないか。そう思うとゾッとする。思考停止状態とは即ち老化であり、即ちオヤジ化である。完全な思考停止状態に陥ってしまえば、人間としてもう終わりである。それは絶対に避けなければならない。

以前は副業をやっていたのだけれど、様々な理由からそれは続けることができなくなり、今はもうやめた。空いた時間を持て余していたので、好きなことを突き詰めようと思い、ボイトレに通い始めた。DTMの機材を揃えて、作曲をして、そのうちライブをやろうと考えている(現在、作業はストップしているけれど)。ここまでが現状だ。では、この先はどうするつもりなのか。


・仕事
不可避的なトラブルの発生という宿命的な事件があった。僕にも、職場の人間にも、一切落ち度はなく、本当の意味で、非常に宿命的だった。案件は減少し、売上も減少することが目に見えている。給料だって上がりはしない。どうするのか。金を取るのか、時間を取るのか、といったところだろう。もっと給料を貰える職場に移るのであれば、給料は上がる、けれど、今のように自由な時間はなくなるだろうから、音楽関係のことは殆どできなくなるだろう。この問題は今のところ、考える度に現状維持という結論に落ち着いてきた。しかし、その是非を含めて、また検討し直さなければならない時期が来ているのではないかと思う。僕ももう若くはない。少なくとも、以前に比べれば。色々考えなければならない時期が来てしまっているように思う。考えろ。思考を止めるな。

・音楽
バンドじゃなくても、ソロでも良いから、とりあえず始めよう、と思い立って、色々思考錯誤している。現状は殆どストップしているというか、水面下での活動のような段階だけれど、ボイトレと、曲のアイディアを貯めることだけは続けている。自分との戦い。これに関しては、どこまで行っても結局趣味の範囲なのだから、楽しくやれればそれで良いのだろう。楽しくなくなったのなら、やめれば良い。とはいえ、これがなくなってしまえば、今の僕にはもはや何も拠り所がないというか、何もすることもなくなってしまうし、日々の生活は退屈なものとなってしまうだろう。バランスが大事だ。ライブなりなんなりは、もうちょっと色々固まった段階で始めたい。継続的案件。

・その他
ここに書くことができること・書くことができないこと、書くべきこと・書くべきではないこと、など色々難しい。難しい、という言葉を使いたくはないけれど、実際問題として難しいのである。色々こんがらがってきてしまっている。それは時には意図して、時には意図せずに。

続きはまた書こう。



追記。

今の職場にいると、コミュ障になる気がする。気がする、ではない。そうなる。というか、現になっている。空気が悪い。ここにいると、ここの人間になってしまう。ではどうすれば良いのか。どこに行ったって、その組織に染まってしまえば、「それっぽい」、「その組織にいる人間」になってしまう。それだと、自分は死んでしまう。では、自分とは一体何なのか。

ここを突き詰めて考えなければならない。自分とは何か。何者なのか。自分らしさとは。どういった条件が満たされるとき、自分は自分でいられるのか。

それとも、それは無理なのか。仕事とは、社会で働くとは、そういうことなのだろうか。自分を殺して、それっぽく振る舞うこと。それが大人になること、なのか?

ともかく、ずっとここにいるのは危険な気がする。もう、手遅れかもしれない。底なし沼に片足を突っ込んでいて、もう片方の足も、気付いたら泥に埋まっている。気付いたら、脚だけでなく、全身が泥の中。息ができない。苦しい。誰か助けて。誰も助けてはくれない。自分を救えるのは自分だけだ。這い上がる体力がなくなってしまうその前に、沼から出ることができるのか。それとも、そのまま沼に飲み込まれてしまうのか。底なし沼は、ぬるま湯のように温かい。生暖かくて、そこにいると心地が良い場所。でも、ずっと浸かっていることはできない。ずっと浸かっていたら、全身が泥の中に埋もれてしまい、呼吸ができなくなる。そして、死ぬ。僕という存在は未来永劫この世から消え去ってしまう。どうか、その前に、自分自身を救い出さなければならない。