地方都市の夕景

音楽と写真

全然書いてなかった。2月初更新にして今年2回目の更新。

最近写真は撮っていないわけではないけれど、正直ちょっと飽きてきているというか、マンネリ化しているというか、イマイチ身が入らない。勿論日々パチパチと撮ってはいるけれど、どこか納得いかないというか、どこか気持ちが入らないというか、上っ面をなぞっているだけのような撮り方になってしまっている。ただシャッターを押しているだけ、みたいな。これじゃいかん。とは思いつつも、どうしようもない。それが現実であり、それが今の僕の写真なのだ。ならば、只管沢山シャッターを切ろう。難しいことは考えるな。写真とはシャッターを押せば写るのだ。ただただ、シャッターを切ってみよう。写真を始めたばかりの頃のように。

2019年はフィルムで。

おめでたくはないのですが、今年も宜しくお願い致します。

更新していないのにもかかわらず、謎にPVが伸びているので、これは更新しろということかな?と思い筆を執りました。正確にはキーボードをカタカタしました。今回は文章の書き方やや雑です。

デジタル派の僕ですが、最近はフィルムメインで撮っていて、現像代が馬鹿にならない感じです。しかし冷蔵庫で眠っているフィルムたち(40本くらいありました)が賞味期限を迎えようとしているので、使わなければ!ということで。最近撮ったものの中からピックアップ。ウェブは横でしょう、ということで今回は横構図で撮ったものだけ。縦で撮ったやつも良いの沢山あるんですけどね。


以前はロモ400の発色の良さが好きだったのだけれど、最近はフジ400の落ち着いた色味の方がフィルムらしくて良いなぁと思っております。ポートラが一番好きだけど高過ぎるのでもう使わないと思う。35mmのモノクロフィルムは初めて使った。

撮ってる人が同じなので、やってることはデジタルと一緒なのだけれど(フィルター色々使ったりとか)、フィルムは一発撮りだしコストがかかるから、一枚一枚丁寧に撮ろうという意識がはたらくし、同じ構図で何枚も撮ったりはしない。そういうところ、デジタルとは全然撮り方が変わってくるのが面白い。あとα7Sはピント合わせがやや遅いので、一眼レフのササッ!というピントの合い方にはちょっと感動する。タイムラグがない。

こう見てると、人工物よりは自然とか植物とか動物とか、あとは人工物でも綺麗なものより汚いものというか、古い街並みなんかを撮る方が向いてる感じがしますね。フィルムは。今年は冷蔵庫で眠ってるフィルムを使い切るのが目標です。

地方都市の夕景・2018

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今年も残り僅か。今年も一年ありがとうございました。

いつもながらマイペースな更新で、かつ書いている内容も僕のプライベートな日記といった風情で、殆ど読んで下さる方の参考にはならないようなブログですが、僕が目指しているのはまさにそこだったりします。「○○するための7つの方法!」「○○なら知っておくべき10のポイント!」とかそういうネット上によくあるような中身のないゴミ記事ではなく(このブログも中身はないですが)、昔のインターネットによくあった、有名人でもなんでもない、どこかの誰かの普通の日記というのが僕は好きなので。
ここは日本のどこかに住んでいる、写真と音楽が好きな普通の人間の、ただの日記です。何かに参考になるとかならないとか、そういったものではありません。ほぼ100%自分のために書いています。写真と同じで、記録という役割。

今年も沢山写真を撮った。曲はあまり作らなかったけれど、一枚のアルバムという形で作品を作ることができた。今回の写真は今年撮った写真のうちのベストショット、ではなく、最近撮ったもの。最新作にしか興味がないのです。というかベストショットってなかなか選べないので…。

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今年買った機材としては、

SONY DSC-RX100
SONY Distagon35mmF1.4 SEL35F14Z
SONY Vario-Tesser16-35mmF4 SEL1635Z
SONY FE85mmF1.8 SEL85F18
CONTAX Sonnar135mmF2.8
COSINA Planar50mmF1.4ZF

といった感じ。色々買ったなぁ。一気に装備が増えた。気付けばソニーの無印85mm以外は全部ツァイスだった。でも無印85mmはツァイスのBatis1.8/85(タムロンOEM)より画質が良いらしいから、実質ツァイス!


まずカメラは常に持ち歩くためのサブカメラ、初代RX100というコンデジ。これはちょっと出かける時や、カメラを持っていけない時、仕事中もずっと持ち歩いて、気になるものがあったらパチパチ撮っている。軽くて小さくてよく写る。ファインダーのある3代目と迷ったけれど、初代が一番小さくて軽くて画質も良いらしく、さらにレンズの画角が28-100mmなので初代にした。

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レンズはα7SのためにSONYの無印85mmF1.8とCONTAXのSonnar135mmF2.8といういずれも中望遠の2本と、Distagon35mmF1.4とVario-Tesser16-35mmF4という広角の2本。そして妻から借りているNikon FEのためにCosina製Planar50mmF1.4(結局アダプターをかましてα7Sで使っている)、あとはフィルターとか、ラジオスレーブとか、細かい撮影グッズをいくつか。

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機材は減らしたい減らしたいと思いつつも、増えていってしまう。こういう写真が撮りたい、あるいはいつもと違った写真が撮りたい、というのを機材で解決しようとするとそうなる。けれど、機材で解決できることも多いというのは事実。もとい、その機材がないと撮れない写真というのも間違いなくある。ここらへん、エフェクターと考え方が同じ。アンプ直ではリバースディレイやシマーリバーブの音は出せない。
自分で実際に使ってみないと分からないことも多くて、疑いを持っていた「ポートレートには中望遠レンズの方が良い」という言説は本当だった。歪みがなくて、ボケが大きいから。しかし人の多い街中での撮影だと難しい場面も多いというのは予想通り。そして広角レンズはやはり1本あると便利。毎回使うものではないけれど、「ここは広角だな」という場面というのは少なからずある。しかし何だかんだ、50mm付近の標準域のレンズが一番使いやすい。Sonnar55mmF1.8(SEL55F18ZA)というレンズが一番好き。軽くてコンパクトで良く写る。α7ユーザーは必携の1本。
来年は何も買わないのが目標。しかしズームレンズは1本欲しいかな。タムロン?ツァイス?シグマの135mmとかソニーの70200のズームとかはお店で実物見たら流石にでか過ぎるから諦めがついた。コンパクトな35mmも欲しい。Sonnar35mmF2.8買い直す?とはいえF1.4があるしなぁ。AFは必須なのでVoigtlander NOKTON 35mmF1.4とかはないかな。あれ、写りは好きな感じだけど。しかしまぁ無駄な浪費をしないのが一番の正解な気がする。

大砲。諦めました。
シグマ 135mmF1.8DG HSM Art ソニーEマウント 135mmF1.8 DG SE

シグマ 135mmF1.8DG HSM Art ソニーEマウント 135mmF1.8 DG SE

流石に重過ぎるだろう。どうやって持ち運ぶのか…。こりゃあ、使ってる人見かけないわけだ。写りは好きな感じなのだけれど、やっぱりAFじゃないとなぁ。去年もこれが良い、って書いた気がしますが、やはり一番バランス良いです。


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去年の11月〜今年の11月までの1年間で撮ったポートレートをまとめた写真集を作っている。オンデマンド印刷で少部数しか刷らない(刷れない)ので販売はしないけれど、自分の中では大切な作品となりそう。目下、セレクトに難儀しているところ。
次はどんな作品を作ろうか。写真を撮る目的として、写真集にまとめるというゴールを設定していく方が、撮影そのもののコンセプトを固めやすくて良いような気がしている。撮影に際して一本軸が通っていた方が、的を絞れるから。ポートレートはある程度やりきった感があるので、今後はスナップとか風景とか、そういう方向性で模索していきたい。同じようなことを繰り返すのは好きじゃないけれど、良い被写体が見つかったら人物も撮っても良いかも、とも思ってはいるけれど。
どうしても、川島小鳥の写真集とかが好きで始めたから、人物写真こそが至高!みたいな極端な思考で写真を撮っていたし、そう思っていたけれど、実際はそんなことはない。人物の方が誤魔化しが効くというか、撮る方が下手糞でも被写体の力によって何とかなってしまうことが多いというだけ。つまりは今までの写真というのは僕の実力ではなかったのだ。とも言える。夕焼けの写真は誰がどう撮っても綺麗なのと同じように。

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そろそろ冷蔵庫で眠っているフィルムを使ってしまわないと、期限が切れてしまうので、最近はまたフィルムで撮るようにしている。フィルムだとレンズが50mmと35mmの2本しかないので楽だ。機材は少なければ少ないほど良い。少ない機材で頑張ろうとすると、何をどう撮るか、に集中できる。例えば多重露光をしてみようとか、そういう発想が出てくる。制約があるからこそ発揮できるクリエイティビティというやつ。デジタルだとレンズが沢山あるから、レンズ交換でなんとかしようという思考になりがち。そういえばデジタルだと、多重とか全然やらないなー。α7Sを買ったばかりで、ヘリオスとかタクマーとかのオールドレンズしかなかった頃はやってたけど。多重はその場で一発撮りでやるのが好き。あとから編集で重ねようとするとダサくなることが多い(当社比)。

デジタルか、フィルムか、どちらを持ち出すべきか、どちらで撮るべきか、と悩むのが毎度面倒で嫌なので、いずれ完全にデジタルオンリーのワークフローにしたい。という気持ちもありつつも、フィルムもたまに使うと面白いし、奇跡の一枚が出ることがあるから、やはり完全にはやめられない。結局今後も曖昧な感じで運用していくことになりそう。暫定的な処置として。
Canonのレンズが2本あるから、Canonの(デジタルの)ボディを買っても面白いかも、なんてちょっと思ったりした。5Dm2とか、6Dとか。しかしα7Sがメインである以上、レンズが共用できないことを考えるとちょっと使いづらい。それだと結局、どちらを持ち出すべきか、と悩むことになってしまい本末転倒だ。やはりマウントは1つに絞るべきで、複数のメーカーのカメラを使うのは避けるべきだ。Canonフィルムカメラもレンズも売ってしまって、その分SONYのレンズでも買った方がトータルでは安く済むのかも。いやそもそも何も買わない方が、とか色々余計なことを考えてしまう。機材のことじゃなくて、写真そのもの、何をどう撮るのか、つまりファインダーの向こうにあるもののことを考えるべきなのに。機材のことを考えなくても良くなるようにするために、機材のことを考えている。

色々細かいことに拘ろうとすれば、どこまででも拘れてしまうし、色んな人の言うこと、色んな所に書いてあることを全て真に受けていたらキリがないから、いかに諦めるか、だと思う。α7Sさえあれば、ストロボも基本的にはいらないし、レフ板もいらないし、暗くても手持ちで撮れるから三脚もいらない。あとは例えば多灯ライティングなんてする意味も必要性もないし、そもそも街撮りでは不可能だ。ミラーレスの優位性である軽さ・小ささを生かした機動性重視の撮影を。そもそも作り込んだ撮影をすることってないし、僕の写真はスナップ的な要素が強い。一瞬の光を捉えて掬い取るのだ。決定的瞬間!

アンリ・カルティエ=ブレッソン:20世紀最大の写真家 (「知の再発見」双書)

アンリ・カルティエ=ブレッソン:20世紀最大の写真家 (「知の再発見」双書)

全ては写真と同じ。選択と集中。引き算。何を選ぶか、そして要らないものをいかに切り捨てるか、だ。
技術も勿論だけれど、それより感性の部分の方が重要。技術論というのはある程度決まりきっているものだから、誰でも勉強なり練習なりすれば身につくものだけれど、感性を磨くということには決まりきったやり方はないし、一朝一夕にどうにかなる話ではない。技術とは表現に資するもの。自分の表現を見つけていくためには、何よりも感性を磨くことに徹するべきだ。

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引っ越して彼女と暮らし始め、結婚して夫婦になったというのと、母が亡くなったというのが、やはり今年のハイライトか。こんな表現でまとめたくなんかないけれど。あとここでは書けないけれど仕事でも色々あった。妻とは毎日会うし、亡くなった母のことを考えない日はないから、これらのことは僕の日常において大きな事件であり、つまりは僕の人生そのものである。妻の写真はいつでも撮れるけれど、母の写真はもう撮れない。妻の曲は作らなかったけれど、母に捧げるアルバムは作った。考えても仕方の無いようなことばかり考えてしまう。いつかは僕も死ぬのだ。当たり前だけれど。来年も生きましょう。来年も地方都市の夕景を宜しくお願い致します。
それでは、ちょっと早いですが良いお年をお迎え下さい。

BABY BABY

BABY BABY

December

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早くも12月。もうすぐ今年も終わりか。早いなー。

最近は中望遠レンズを中心に使っている。自分の中での流行り。あと季節柄イルミネーションを撮りに行くことが多いから、フィルター等を使って色々試している。毎回、実験、実験という感じで。日が短いから、早く出ないと日が沈んじゃう!という理由で昼間に外出することが増えたような。フィルムはほぼ使っていないけれど、デジタルでの撮影枚数はちょっと増えてきた。現像が大変。そんな日々。

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桑島智輝の(=安達祐実の)写真展を見に行ったり、取り壊しになるヤマハエレクトーンシティでの写真展(ARIGATO SAKURAGAOKA produced by ART PHOTO TOKYO)を見に行ったりして、何をどう撮るのが正解なのか分からなくなった。他人の撮った写真を沢山見ると、いつもそうなるのだ。よく分からなくなる。けれど、そこはある意味割り切っている部分でもあって、結局のところ、自分は自分のスタイルで、これまで通りに、自分の写真を撮るしかないのだ、というところに落ち着く。誰かの真似をする必要なんてない。そういえば、アート系の人たちの間では、未だにフィルムが根強い人気なのだなとは思った。桑島さんもフィルムだった。僕も冷蔵庫にあるフィルムを使わなければ。期限が切れてしまう。

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何をどう撮るか。僕の場合、何を撮りたいのかが分からないというか、こういうのが撮りたい、というのがあまりない。その場その場で、美しいと思った瞬間を切り取ることしかできない。予め頭の中に絵が出来ているわけではなく(できている時もあるが)、ある意味受け身で、向こうからやってくるものを撮っている。ポートレートを撮るときも、何も決めずに行き、その場で構図を考える。
「絵を描くのは創造していくこと、写真を撮るのは発見していくこと」といったような言葉をどこかで見たけれど、まさにそんな感じ。その場、その時、その瞬間に発見していくこと。魅力的な被写体を見出していくこと。だから外に出かけてみないことにはイメージすらも浮かばない。あるいは漠然としたイメージはあったとしても、その通りになることなんてないし、むしろ自分のイメージ、あるいは自分の内側にあるものなんてたかが知れているから、自分の枠内に収まる程度のものではなく、予想外のものが出来上がるのでないとつまらない、という感じで、やはりそれが自分のスタイルなのかもしれないと最近思い始めた。それが正しいのかどうかは分からないけれど。


妻の写真は頼まれなくても撮るし、これは作品兼記録という感じで死ぬまで続けることになると思うけれど、それ以外の人の写真、所謂ポートレートは、どうなんだろう。最近ずっと同じ人を1年間撮り続けて、正直もう良いかなと思ってしまった部分もある。けれど、魅力的な被写体がいるのなら撮りたいという気持ちもある。しかし、如何せん撮りたいと思う人がいない。とはいえ撮りたい人を探すというのもなんだか、ちょっと違うような気もする。なら撮らなければ良いじゃないかと言われればそうだけれど…。結局、探すしかないのか。探さないことには見つからないというのは分かるけれど、んー、なんだかなぁ。色々と面倒だ。億劫に感じてしまう。これは結局、同じようなことの繰り返しにしかならないのではないか。今までにやってきたことと同じようなことを繰り返したところで、果たして良い作品が生まれるのか。そもそも何が表現したいのか。というかそもそも何かを表現するために写真を撮ったことなんてあっただろうか。あるいは何かを表現したつもりにでもなっているのだろうか。所詮は遊びなんだから、難しいこと考えないで撮ったら良いんじゃないか、という気持ちもある。僕の写真なんて大したことのないレベルなのは分かってはいる。

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こう並べてみると、多少ズラしてはいるけれど、日の丸構図が多い。そしてRAW現像も正解が未だによく分からない。機材は減らしたい減らしたいと思いつつも増えていく。特にオチはありません。

november

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11月も半分くらい終わって、そろそろ今年も終わりそうだ。早いな。本当に、人生はあっという間に終わってしまいそうだ。

11/11の、THE NOVEMBERSのワンマンライブは物凄く良かった。心配になる位、かなり攻めたセットリストだったし、夢にまで見た新曲まで聴けた。待望の、というか最早待ち草臥れたニューアルバムは来春リリースされるらしい。3年も待たされた。


悲しいくらいに再生数伸びませんが、新曲配信中です。宣伝です。
Apple MusicでもSpotifyでも、その他サブスクリプションでも「amilamia」で検索したら聴けます。是非。

Gaze - Single

Gaze - Single

  • amilamia
  • ロック
  • ¥150

open.spotify.com


SoundCloud、暫く更新していなかったせいか、以前にも増して再生数が伸びなくなった気がする。あるいは、SoundCloud自体がもう流行っていないのかもしれない。
まぁ再生数が目的ではないし、それでは「Twitterのフォロワーを増やすのが目的」みたいに本末転倒な話になってしまうけれど、誰にも聴かれない音楽を作り続けているというのは、我ながらやや狂気じみているようにさえ思えてくる。誰も客のいないライブハウスのステージに立ち続けるアマチュアバンドみたいな。元々自己満足だし、自分のためだから、自分のために続けるけれど。僕が死んだら、葬式のBGMにでもしてください。

写真も同じで、被写体がいる場合には被写体のためというのもあるけれど、基本的には僕が撮りたいように撮るのだから、やはり自分のために撮っている。つまりは自己満足の趣味である。人のために写真を撮るということもたまーにあるけれど。というかそもそも趣味って何でも自己満足か。仕事じゃないんだから。このブログだって、自分のために書いている。勿論、ある程度は読んでくれる人がいることが前提だけれど、読者のためだけに書くということはない。
もっと趣味の仲間とかを作って、外に開いていった方が良いのだろうかとかもたまに思う。でもそういうの苦手なんだよな…。人間性を疑われそうだけれど、あんまり他人に興味ないし…。馴れ合いで、大して良いとも思っていないものを「良いですね!」みたいに言ったり、言われたりもしたくない。でも世の中で上手いこと生きていくには、そういうのが大事なのだろうか。自分の写真にも、他人の写真にもシビアでいたい。


あの人が上司/客/取引先/その他の利害関係人でなかったならば、とっくにボコボコに殴り倒している、あるいはめった刺しにしている、というような、嫌い/ムカつく/消えて欲しい/○したい/くらいに不快であったり激しい怒りを覚えるような人間というのは、誰にでも、どんな環境で生きようとしても必ずいるものなのだろうと思う。僕はそういう奴を、何回もナイフでめった刺しにしている。何度も何度もボコボコにしている。脳内で。勿論、現実にはそんなことはできない。だから今日も脳内でボコボコに殴り倒す。俺はお前を許さん。そういう気持ちというのは、写真で表現するよりも音楽の方が形にしやすい。単純に激しい曲にしたり、そういう内容の歌詞にすれば良いから。
というか写真で何かを表現したことなんてあっただろうか。写真表現って何だ?写真は所詮写真だ。見た人が好き勝手に解釈すれば良いと思っている。なんだか、中身の無い人間が中身の無いことをしている、下らない虚栄のような気もするけれど、まぁ仕方ない。僕は凡人だから。

いつまで今の職場で働けば良いのか。というか、いつまで働けば良いのか。いつまで生きれば良いのか。

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傷ついたり傷つけられた分だけ、自分だけは他人に優しくありたいと思うけれど、それももう限界かもしれない。こんな世界でも何とか生きなければならない。