地方都市の夕景

音楽と写真

詐欺?

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いや、そのキットレンズじゃ絞り開放でもこんなにボケないだろ、とツッコミを入れてしまったけれど、

シークバーに隠れて見えづらい部分をよーく読むと…


「※映像内の画像はFE24-70mmF2.8GMなど別売りレンズを装着して撮影。」





詐欺だ!




敢えてFEマウントのレンズをAPS-Cで使うというのも考えづらいから、恐らくカメラもα6300ではないだろう。α7RⅡとかだと思う。



SONYは一応表記しているまだから良いけれど、

smhn.info

話題になっていたファーウェイは、一眼で撮った写真を「このスマホで撮りました」と嘘をついていたらしい。確かに、スマホのボケモードってしょぼいもんな…。でもAppleの「iPhoneで撮影」ってやつだって、iPhoneで撮ってるのか怪しいし、iPhoneで撮ってたとしても、フォトショップでかなり弄ってるから、最早それはiPhoneで撮影したと言えるのか?と思ってしまう。


というだけの記事でした。スマホでも良い写真撮れる人は尊敬する。けれど、やはりある程度まともな一眼レフ使った方がそれっぽい写真は撮りやすいし、写真というのはどこまでいっても、カメラという機材に依存するジャンルの芸術だから、より良い機材を持つに越したことはない。

でも、良い機材を持つ、使いこなせるようになる、というのはスタートラインに過ぎなくて、
そこから漸く、良い写真とは何か、という本質的なところが始まってくる。カメラを使えるようになるのと、良い写真が撮れるのというのとは全く別問題なんだよな。写真って本当に難しい。生き様がそのまま出てしまうような気がする。

SONIC MANIAに行って来た。


豊洲ピットでのマイブラの来日公演のチケットを取りっぱぐれてしまったので、この機会を逃したら次にマイブラを観れるのは何年後か分からない、もしかするともう二度と観れないかもしれない、ということで、ノリと勢いでソニックマニアに参戦してきた。チケット取ったのはなんと前日。まぁ当日券も出ていたから、余裕だったのだけれど。

仕事終わりの疲れた頭と身体で幕張メッセへ。勿論お目当は伝説のシューゲイザーバンド、マイ・ブラッディ・バレンタイン。それさえ観れれば、他はどうでも良かった。9時半くらいに海浜幕張駅に到着して、本当は持ち込みNGだけれどお酒やお菓子を買い込み、手荷物検査やIDチェックをくぐり抜け入場。この時点で正直、かなり眠かった。しかし、家でちょっと寝てから向かおう、などということをすると、最悪寝過ごしてしまう可能性があったので、多少眠くても開演時間くらいには現地に到着するようにしたかったのだ。

メインステージであるマウンテンステージでは既にコーネリアスが始まっていたけれど、特に興味もないので、チラ聴きして会場内を散策。ソニックステージではクリーン・バンディットが盛り上がっていた。他のステージではよく分からないけどDJがプレイしていた。サイレントディスコという、全員ヘッドフォンで音楽を聴きながら踊る謎の企画があったり、シャボン玉が出てたり、ミラーボールが回っていたり、とフォトスポットを一巡した後、体力温存のためマウンテンステージ後方で休む。渋谷系おじさんが終わり、ナイン・インチ・ネイルズが始まる。これがまた、圧巻のステージだった。何枚かアルバムを聴いたことがある程度のニワカだったのだけれど、イメージしていた以上に熱いロックバンドだった。この時点でも十分な爆音だったので、これから始まるマイブラがどれほどまでの轟音なのか、ちょっと恐ろしかった。一応、バンドをやっていた時に使っていた耳栓は持ってきたのだけれど。

そして時間やや押して午前2時前、ついにシューゲイザー界のカリスマ・伝説のバンド、マイ・ブラッディ・バレンタインが登場。コルム、デビー、ケヴィン、そしてキラキラのドレスに身を纏ったビリンダ、そしてサポートキーボード/ギターの女性の5人編成。1曲目から爆音。普通に音がデカ過ぎる。ボーカルはほぼ聴こえない。左右で爆音ギターがずっとガーーーと鳴っていて、真ん中でドラムとベースが爆音で鳴っているような、音の塊をずっと浴びているような感覚。後ろの方で聴いている限りは、各パートの音がはっきり聴き取れたという話らしいのだけれど、本人たちを肉眼で観たかった僕は割と前の方にいたので、ずっと全ての音がダマになってぶつかってくるような感覚だった。音のバランスがおかしいので、知っている曲でも知っている曲に聴こえなかったり、ステージ背後にずっと映し出される映像が幻想的で綺麗だったり、正にシューゲ界の神の洗礼を浴びるといった雰囲気だった。かなり異様な空間だった。しかし耳栓はなくても大丈夫なレベルではあった。最後の「You made me realize」の間奏、所謂ノイズピットでは、10分ほど爆音のノイズが掻き鳴らされ、鼓膜だけでなく全身が、内臓が震えるほどの爆音の渦の中に飲み込まれていった。飛行機のエンジンの真下にいるかのような半端ない爆音なのにもかかわらず、どこか心地よさを感じられるほどの不思議な空間で、眼を閉じると自分が今どこで何をしているのか分からなくなってしまうくらいだった。子宮の中に戻った感覚、などとよく表現されるけれど、正にそんな感じだった。

…ここはどこだ?僕は今どこで何をしているのだ?

…ああ、そうだった、僕は今マイブラのライブに来ているのだ。眼の前にはあの憧れのバンドの4人がいるのだ。それにしても、この爆音のノイズはなんて気持ちがいいのだろう。心地が良いのだろう。この時間が永遠に続けば良いのに…そんなことを思っていると、唐突にまた曲に戻って、3番のAメロが始まった。そしてあっという間に1時間ほどの演奏が終わる。「Hi」「Hello」「Thank You」殆どそれくらいしか口に出していなかったように思う。寡黙なカリスマバンドだった。爆音ではあるけれど、高音域が耳に刺さって痛い、とかいうことはなかったので、どちらかというと中音域〜低音域がピークになっているように感じた。ここら辺は緻密に計算されたサウンドデザインなのだと思う。ちなみにセットリストは豊洲ピットでの単独公演と殆ど同じだった。単独公演のダイジェストといった雰囲気。あとビリンダは綺麗だった。もう50を過ぎているというのに。そしてギターを弾いていたのは殆どケヴィンだけで、ビリンダはあまりギターを弾いていなかったのが意外だった。

お目当のマイブラが終わったから、もう帰っても良かったのだけれど、時刻は午前3時過ぎ。当然始発まではまだ時間があるから、あと2時間ほど潰さなければならない。皆、そこらへんの床に横になって寝ていた。プラチナチケットを買っていれば、専用ラウンジでゆっくりすることができたのだけれど、生憎僕は通常のチケットだ。皆と同じ様にそこらへんの床に寝転んで時間を潰すしかない。マイブラの余韻に浸りながら始発を待った。仕事終わりのサラリーマンにはオールナイトはつらい。眠い。もう何もする気が起きない。周りの目などどうでも良い。とにかく疲れた。眠い。

帰りの電車の記憶は殆どないけれど、どうにかこうにか家に帰り、夕方まで爆睡した。フェスは楽しいけれど、次の日がつらいよね。せめてオールでなければ…。でもマイブラが観れて良かった。バンドという生き物は、いつどこで活動休止したり解散したりするか分からないから、観れる時に観ておいた方が良い。後悔のない人生を。

Distagon T* FE 35mmF1.4ZA SEL35F14Zについて

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前に買ったばかりの時にも書いてますが、

amilamia.hateblo.jp

「Distagon T* FE 35mmF1.4ZA SEL35F14Z」についても、CONTAX T2と同様に検索流入からよく見られているようなので改めて書いておきます。多分持ってる人が少ないし、ネット上にも他のレンズほど情報がないのかも。
最近機材のことばっか書いてますが、正直自分自身のことじゃないから書いてて楽なんですよね。

去年末に買って、7ヶ月程使ってみた感想です。ボディはα7Sです。
どんなレンズもそうだけれど、このレンズ、良いところと悪いところがあります。
まぁ僕は機材に自分を合わせていくという考えなので、問題になることってそんなにないのだけれど。機材の癖を掴んで使いこなしましょう。

■良いところ
 ・F1.4という明るさにより、やや広角でかつボケる
 ・かなり寄れる
 ・透明感、解像感、色乗りが良い
 ・天下のカールツァイス

■悪いところ
 ・デカくて重い
 ・高い
 ・AFがやや遅い
 ・AFがやや迷う
 ・ピントリングが大きくて動きも重い

まとめるとこんな感じ。



F2。結構パースがついてます

35mmというのは標準域〜やや広角で、室内とかだと使いやすい画角かなと。好きな人も多いと思う。ポートレートで使うとなると、人物だけでなく背景もたくさん写したい時に使う感じ。これ以上広いレンズ、例えば28mmとかだと人物撮影にはちょっと歪みが気になるかなというところで、撮り方にもよるけれど、個人的な意見としては人物撮影には35mmが限度かなという感じがする。50mmだとちょっと狭い、けどボケは欲しい、という時に、やや広角かつボケるこのレンズは有難い。とはいえ、35mmでも結構パースはつくから構図には気をつけた方が良いし、歪みが気になるからあまり寄るべきではない。寄れるけど。


F1.4。被写体とあまり距離をとれない状況で重宝する。


マップカメラの商品説明には「数値化できない透明感、空気感」などと書かれていたけれど、本当にそれだと思う。「開放付近の柔らかい描写はポートレート向き」とかも書いてあったけれど、絞り開放だと描写が柔らかいと言うより、ピントが浅くなるからピンボケしやすくなると言うだけの話ではないかとも思う。開放からシャープで使えます。
流石ツァイスだけあって、色乗りは抜群。カメラとの相性、或いは編集時の僕の好みが反映されているだけかもしれないけれど、ガラスとか、コンクリートとか、やや緑~水色~グレーくらいの色の無機質なものを撮るのが向いているような気がする。というかSONYのカメラ、レンズ全般がそんなような気がしないでもない。無機質な写り。


F2.8。寄ると被写界深度がかなり浅くなる


このレンズの欠点は、何よりもデカくて重くて高い、と言う点だろう。

CanonのEF35mmF1.4も、SIGMAのART35mmf1.4も、SamyangのAF35mmF1.4も同様だけれど、35mmで明るくしようとするとどうしてもでかくて重くなってしまうようだ。そこが最大の欠点。そしてDistagon T* FE 35mmF1.4ZA SEL35F14Zについては、他社の35mmF1.4のレンズよりもちょっと高いというのも欠点(何を隠そう、僕は24回払いで買ったので未だに月々割賦金を払ってます…)。α7Sに付けると、フロントヘビーになってしまい非常にバランスが悪い。ストラップで吊るすと完全にお辞儀した状態になってしまう。なぜならボディより重いから。片手では非常に扱いづらい。手ブレします。

他の35mmのレンズだと、Nikonには35mmF1.8という丁度良いやつがあるのだけれど、SONYだと他には35mmF2.8、Canonだと35mmF2、となってしまう。後者はまだ良いけれど、前者のSONY35mmF2.8(SEL35F28Z)は…まぁ35mmでF2.8って割と標準的というかよくあるスペックではあるのだけれど、2段ほど明るくするためにはこんなにもでかくて重くて高くなってしまうのか、というところが未だに信じられない。ちなみにソニーのRX1という高級コンデジにはSonnar35mmF2というレンズが乗っていて、このレンズを単体で販売して欲しいくらいである(レンズ交換できないコンデジだからこそ設計できたレンズらしいけど)。
MFオンリーでも良いなら、コシナからDistagon35mmF1.4が出ているし、フォクトレンダーノクトン35mmF1.4という選択肢もある。ノクトンの方はサイズもかなりコンパクトだから良いと思う。自分はどうしてもAFが欲しかった。AFの効くディスタゴンは唯一これだけだから。

あとこれはカメラ側の問題というか、僕の初代α7Sでの使用時に限った話なのかもしれないけれど、AFがやや遅い。内部でレンズを沢山動かしているのだろうか。そして、他のレンズ以上に、白一色とか黒一色みたいなものだとピントが合いづらいような感覚がある。そもそもAFってそういうものだとは思うし、これはα7Sがコントラスト方式しか使えないからであって、α7ⅡとかハイブリッドAFが使える他のカメラなら問題ないのかもしれないけれど、何故か結構ピントを外すような印象がある。あとは、「ピントリングはスムーズに回る」みたいなレビューが多いけどそんなことはない。このレンズのピントリングは大きくて動きも固いのでMFはちょっとやり辛くて、地味に不便。SEL55F18Zのピントリングの回り具合が一番好き。SEL1635Zのピントリングは軽過ぎてダメ。レンズに絞りリングがあるのは、動画用ということだけれど、静止画しか撮らないから要らないなぁと。レンズ側の絞りが優先するから、A(オート)から勝手にF16になってしまっていたりして、カメラ側で絞りの制御ができなくなって「!?」ってなることがたまにある。


F1.4。先ほどと似たような構図だけれど、このレンズだからこそ撮れた一枚だと思う。


一般的に、広角レンズというのはある程度の明るさがあっても相当被写体に寄らない限りはボケない。けどこのレンズなら割と離れててもある程度のボケが得られる。と言う、ただそれだけなんですよね。一言で言えば。本当にただそれだけの違い。しかし神は細部に宿る、じゃないけど、その些細な違いって少なくとも撮影する方の感覚としてはかなり大きくて、被写体との距離感、アプローチの仕方まで変わってくるから、そこに価値があると思う人には、決して安くないけどおすすめできるレンズではある。つまりはかなりマニアックなレンズです。ボケが欲しい時は50mmとか85mmを使うから、広角にはボケなんて求めないよ、という考えなら全く無用の長物だろうと思う。

もっと言えば、レンズのスペックの細かい違いなんて使っている人にしか分からなくて、写真を見る側にはその細かい差異というのは分からないだろう。僕だって、他人が撮った写真を見せられて、このレンズで撮った写真はどれでしょう?と言われても分からないと思う。でも(繰り返しになるけれど)、その細かい違いというのは撮っている側からすれば全然細かくなんてない、大きな違いなのだ(実際にファインダーを覗いてみてもらえれば一目瞭然なのだけれど)。

少なくとも僕は、このレンズでなければ撮れない写真が必ずあると思ってます。というか実際にあったはずだと。35mmF1.4というスペックでAFが効くレンズだからこその写真が。

ということでDistagon T* FE 35mmF1.4ZA SEL35F14Zについて書いておきました。
これを読んで「買おう!」と思う人がいるかは謎だけれど、参考までに。


デカくて重くて高いけど写りは良い。

携帯性重視でいくならこれ。F2.8でも許せるなら。

MFオンリーでも良いならこれが一番良い気がする。

至高のサブカメラ、RX100

サブ機としてSONYコンデジ、RX100を購入。
今回は写真盛りだくさんでお送りします。

RX100とは、SONYが出しているコンデジ、コンパクトデジタルカメラで、小さい筐体に1インチというコンデジにしてはそこそこ大きめなセンサーを搭載しているのでコンデジにしてはそこそこ写りが良いというカメラです。今現在RX100は初代~M6(第六世代)まで出ている(あとM5Aというよく分からんやつも)。購入に際して色々調べたところ、結論から言えば自分みたいにα7シリーズ等のメインの一眼があって、サブとして使う程度なら初代RX100で十分だと思った。勿論新しい機種の方が機能も多いし、性能も良くなっているので、これ一台で何もかも撮りたい人とか、お金が余っている人は一番新しいの買えば良いとは思うけれど。
とはいえ、これはあくまでサブ機だよなぁと思う。できることは限られているし、物理的な制約も多い。言ってしまえば所詮はコンデジというか、何を撮るかにもよるけれど、どうしてもセンサーが小さいから大きいボケは作れないし、風景とかスナップ向きだなと。僕が買おうと思ったのは、治安がそんなに良くない地域に旅行に行く際に持っていくサブカメラが必要だったから。

ファインダーのあるM3とも迷ったけど、お店で実機を触った感じだとファインダーはちっちゃくて見づらかった。あと、ポップアップさせてから手前に引く、という2段階の動作が面倒だなと思ったのと、ちっちゃいパーツで作られてるから弄ってるうちに壊れそうだなとも…。そもそもコンデジでファインダー覗いてじっくり撮るということはないだろうな、というのもあったし、ファインダーを押し込むと電源が切れるという謎機能は要らない気がした。初代RX100の余計な機能のなさ、かっこよく言えばミニマルさが愛おしく感じたのと、初代が一番薄くて軽くてコンパクト、レンズの画角が28~100mmである(M3以降は24~70mm、M6は24〜200mm)というあたりが決め手となり初代にした。コンデジにはコンデジならではの使い方があるし、ちゃんと撮りたいときはα7Sを使うから、余計な機能など要らないのだ。
初代の一般的なデメリットとしては、ファインダーがない、背面液晶が動かない、Wi-Fiが使えない、といったところか。自分の場合は、ファインダーは先程書いたように要らないと思ったし、液晶が動かなくても自分が変な体勢になれば良いだけだし、自撮りはしないからOK。Wi-FiがなくてもRAWで撮ってSDカードからPCに取り込んで編集、というフローだから関係ない。

初代RX100、調べてみると大きく3つに分かれているようだ。
一つはシリアルナンバーが3から始まる最初期の世代で、「MADE IN JAPAN」となっている。これは発売当初(2012年)のもの。中古市場には多いが、年季が入っていることを意味する。その後製造されたシリアルナンバーが6から始まる世代は「MADE IN CHINA」と中国製に切り替わっている。そして2018年3月頃から流通している個体はシリアルナンバーが0から始まっており、ファームウェアが「ver.2.00」となっている。それまでの個体ではファームウェアは「1.00」か「1.10」であり、「2.00」にアップデートすることはできない。どうやら基板自体が変更されているらしい。レンズ先端の「Carl Zeiss」という記載が「ZEISS」に変更されている、という情報もあったが、これはよく分からなかった。「ZEISS」となっていながら、シリアルナンバーが古い個体などもあったので。でも「ZEISS」の記載になっているやつはほぼほぼ2018年製の新しいやつと思って間違いないかと。

参考
www.kitamura.jp

m-toolbox.net


ファインダーがあるかないか、液晶が動くかどうか、Wi-Fiがあるかないか、日本製かどうか、ファームウェア云々、全部大したことではなくて、要はコンパクトでポケットに入れられてサッと取り出してサッと撮れるかどうかだから、一番安いので良いのではないかと思った。というか安くないと雑に扱えないから、機動力が落ちるのだ。森山大道スタイルでいこう。ちなみに森山大道Nikonコンデジらしい。GRじゃないのね。


使ってみて、ちゃんと撮りたい時以外はもうこれ1台で良いんじゃないかとさえ思った。CONTAX T2なんか買うより、はじめからこちらを買っておけば良かった(あの時期はフィルムがやりたかったので、あのカメラを使うという経験を買ったという意味では悪くなかったとは思うけれど)。RX100はなによりコンパクトだし、レンズシャッターだからシャッター音が「プチ」っという感じでとても小さい。ズームもできるし、スナップには最適なカメラだ。この大きさのカメラだからこそ撮れる写真、このカメラでしか撮れない写真というのがあるなと思った。

RX100のRAWは、α7SのRAWと比べるとどうしてもダイナミックレンジがやや狭いが、実用レベルではあるかなといったところ。当たり前だけれど、α7Sと比べて色の乗り方も微妙に違う。RX100の方がややビビッドな印象を受けた。

ということで、お待たせしました。RX100の作例をご覧下さい。
ちなみにトップ画はiPhoneで撮りました。


適当なチョイスですが、コンデジならではの機動性を生かした写真が撮れているのではないでしょうか。どうでしょうか。
写真によっては、α7Sで撮ったのと区別が難しいくらいのものもあるかも。全部RAW撮りのlightroom現像です。

ちなみにRX100に関しては、伴さんのブログが一番参考になる。僕もこのブログを読んで初代RX100を買うことにしました。僕のブログなんか読むより伴さんのブログ読みましょう。youtubeも観ましょう。

vantherra.com



SONY デジタルカメラ DSC-RX100 1.0型センサー F1.8レンズ搭載 ブラック Cyber-shot DSC-RX100

SONY デジタルカメラ DSC-RX100 1.0型センサー F1.8レンズ搭載 ブラック Cyber-shot DSC-RX100


なお、滑りやすいのでラバーグリップは必須です。僕のは前のオーナーが付けていたらしく、初めから付いてました。ラッキー。


あと、背面液晶にはなんか貼った方が無難。


バッテリーも、1個だと不安だったので中華製のを買いました。


ということで、RX100、おすすめです。α7Sの方がさらにおすすめだけれど。

1week ago

母が亡くなってから1週間が経った。早いものだ。こうして2週間前のことになり、1ヶ月前のことになり、半年前のことになり、1年前のことになり…と、どんどん過去のことになっていくのだろうか。最後の数ヶ月は寝てばかりいて、殆ど会話をすることもできなかったけれど、そんな状態だったとしても、いるといないとでは大違いなのだなと思った。此岸と彼岸。

悲しい葬式だった。父が棺に何枚か写真を収めたのだけれど、写真ってこういう時のためにあるんだよなぁなんて思ったりした。写真=記録 というのが一般的な価値観で、自分みたいに毎日何十枚も、日によっては何百枚も撮る、なんてのはかなり異常というか。そうやって写真を趣味にしていて、沢山場数を踏んでいるからこそ、いざという時にもちゃんと撮れる、というのはあるけれど。遺影は僕が撮った写真だった。生前に母が「これが良い」と指定したのだそうだ。

母とはずっと離れて暮らしていて、毎日会うわけではなかったから、日常に変化があるわけではない。だから、ひょっとすると今もどこかで生きているんじゃないか、なんて妄想を抱いてしまうけれど、残念ながらそれはない。母はもう死んでしまったのだから。亡骸は燃やされて骨になって、壺に入れられて、部屋に置いてあるじゃないか。その現実をどういう風に受け入れたら良いのか分からない。到底受け入れられるはずがない。ポジティブに捉えることなんてできるはずがないのだから。まるで嘘みたいな話に思える。けれど、これが現実なのだ。今迄僕は何をしてきたのだろう。何だか、今まで自分がしてきたこと、今までの生き方は全て間違っていたんじゃないかとさえ思えてきてしまう。何もかも、無意味だったのではないかと。これから先、どうすれば良いのか、どう生きていけば良いのか分からない。

明日の朝目覚めたら、全てが嘘になっていたら良いのに。何度そう思ったことだろう。

僕らは何も取り戻せないし、取り返せないし、一度失ってしまった以上は、何をどうやっても、埋め合わせをすることもできない。