地方都市の夕景

音楽と写真

Adobe教に入信しました。

タイトルの通り。

毎月1000円ちょっとのお布施を支払うという契約をし、Adobe教に入信しました。理由はLightroomを使いたかったから。Photoshopも使えるのだけれど、使い方も使い所も分からないので今の所起動すらしていません。何でLightroom使いたかったんだっけ?興味本位だったっけな。RAWだとそんなに違うもんなの?みたいな。そういえばRAW現像とDTMのために、中華製のディスプレイを買ってMacBook Airに接続しました。見事デュアルディスプレイになりました。めでたい。

で、ネットで調べたり本を買ったりしてちょっと使ってみた感想。何で、みんながみんな「RAWで撮ってLightroomで現像した方が良い、しかもやるなら早く始めた方が良い」と言っているのか、という理由が分かりました。JpegオンリーでiPhoneのアプリで加工するだけより、間違い無くこっちの方が良いです。使ってみると分かります。全然違います。素人目にも明らかに違う。まぁ言ってしまえば、iPhoneのアプリってかなり優秀ではあるから、できることって大体同じなのだけれど、Lightroomの方がもっともっと細かく弄れる、細かく作り込めるという感じ。神は細部に宿る。そして敷居が高そうだと思っていたけれど、実際使ってみると全然そんなことなくて、割と感覚的に、直感的に操作できる。UIが優秀なのだろう。神様仏様adobe様。

で、色々弄っていて思うのは、やはり撮った写真そのものが良くないと、いくら現像を頑張ってもゴミ写真はゴミ写真でしかないということ。当たり前の話で、何をどう撮るのか、構図、ピント、ブレ、被写体選び、とか、それが大前提。図らずも写真の基本に立ち返っていくことになった。やっぱり基本が大事。この点DTMも同じで、ゴミ曲をいくら細かくミックスして、マスタリングで音圧上げても、それは音質の良いゴミ曲でしかない。名曲というのは、4トラックのカセットMTRで撮ってても名曲である、みたいな話。

RAWで撮るようになると、例えばホワイトバランスなんかは後からどうにでもできるから、撮影のときは考えなくて良くなる。あとハイライトの白飛びは救いようがないけれど、シャドウ部分の黒つぶれはある程度後から持ち上げられるから、明暗差がある時に露出で悩まなくて済む。こういった、後でどうにかすれば良いから、撮影時に考えることが減り、撮ることにより集中できる、というのがお布施の効果だろう。写真が良くなったのかどうかはまだ自分では分からないけれど、割と満足はしている。

しかし、逆に現像しないとネットにもアップできないから、現像作業が溜まってくると鬱になる。そして、いくらでも弄れてしまうから、正解が分からなくなる。この写真、どうすれば良いのだろう…。と途方に暮れてしまう。まさに現像沼である。ここで、そもそも僕は何がしたかったのか、という話になるのだけれど、RAW現像するとは言っても、僕は解像感バッキバキの写真が好きなわけではなくて、フィルム調の低彩度、粒子感マシマシのノスタルジックな写真が好きなのだ。だから、Lightroomでの操作も基本的にはそちらのベクトルに向かうべきである。そこで、一発でフィルム調にできるプリセットという便利なものの登場である。

フィルム調のプリセットといえば、VSCO filmなんかが有名所で、デジタルでフィルムっぽく加工してる人達は大抵これを使っているように思う。でも、僕はiPhoneのVSCOアプリが正直あまり好きじゃなくて、専らRNI filmsばかり使っていたのもあって、VSCOよりRNIの出しているプリセットの方が気になっていた。値段もRNIの方がずっと安いし。しかし、情報が少な過ぎる…。英語のレビューだったら多少は存在していたけれど、日本人で使っている人はいないのだろうか…。心配ではあったけれど、まぁモノは試しということでペイパルで購入。先駆者になってやるぜ。

reallyniceimages.com


RNI使ってみた感想としては、まぁプリセットなんてこんなもんかな…という感じで、写真によってハマる時はハマるし、ダメな時はまるでダメ、という…まぁプリセットなんてそんなもんなのだろうけれど、正直期待外れな感じ。VSCOも1個くらい買ってみるかな…。でもVSCO買っても同じような感想を抱くのではないかと思うと…。結局、元の写真が良くないことにはどうにもならないのだろう。プリセットに頼ることなんてできない。結論としては、良い写真を撮るしかない。






今までiPhoneのアプリで加工するだけだったから、PCで編集するというのは初めての試みなのだけれど、編集していて思うのは、SONYの「Sonnar T* FE 55mm F1.8 ZA SEL55F18Z」の解像感は半端ないということ。カール・ツアイスレンズは優秀だ。まぁ、結局フィルム調にして粒子を荒らしてしまうので、意味があるのかどうかは不明だけれど。


今回載せた写真は、RAWで撮ってLightroomで現像したもの、以前Jpegで撮ったものをLightroomで現像(というか編集)したもの、Jpegで撮ってiPhoneのアプリで加工したもの、フィルムで撮ったもの、が混在しています。

さぁ、どれがどれでしょう?

デジタルのやつも全部フィルム調に編集しているのだけれど、これって人が見たら分かるものなのかな?


以前は写真の加工そのものが好きではなかったのだけれど、世の中にボーカルのピッチ補正がかけられていないCDなんて売っていないのと同じように(ライブ盤とかは別として)、「加工されていない写真」なんて概念は存在しないから、出来上がったものが美しければ何でも良いのでは、と思い始めるようになった。あと、現像とか加工というのはそれ自体が一つのアートというか、クリエイティブな作業だとも思う。

デジタルカメラは綺麗に写り過ぎる感じがあって、フィルムくらいの曖昧さが丁度良いのだけれど、フィルムカメラは物理的・機能的な制約が多いし、ランニングコストもかかる(それでも使っているけれど)。1200万画素のミラーレスで撮って、Lightroomでフィルム調に現像するのが一つのアンサーなのではないか、という、これは自分の中での検証作業でもある。

金沢へ。恐らく最初で最後の家族旅行。

何で最初で最後なの?って思った方もいるかもしれない。書くべきことなのか今までずっと迷っていたけれど、この弱小ブログは読者も少ないし、PVも1日20〜30とかだから、まぁ特段影響力もないし良いだろう、ということで書きます。まず、「最初」である理由は、単純な話で実家が自営業だったからです。休んでいる暇なんてなかったし、休んでなんかいたら生活できなかったから。「最後」である理由は後述します。まずは写真を。


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金沢駅。ピントが怪しいが…。


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バスの中から。SuicaPASMOは使えなかった。


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アーケード商店街は活気があった。蟹とのどぐろが多かった。海の幸。


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おでん。出汁がしみていた。


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僕には無縁なのだけれど、縁結びの神らしい。傾いてるのは許してください。


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個人的に一番行きたかった場所。


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超有名スポット。滅茶苦茶混んでいた。


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全てが絵になる、美しい空間だった。神聖ささえ感じた。大好きになった。


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この手の写真は別に金沢でなくても撮れるのだけれど、つい撮ってしまう。


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手癖みたいなもので、


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どうしても撮りたくなる。こういう写真を。好きなのだろう。


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あなたの命が、1日でも、1時間でも、1秒でも永く続きますように。


本来は楽しいはずの、楽しめればそれだけで良いはずの家族旅行なのだけれど、我が家の場合は切実なものになってしまったというか、それだけでは済まされなかった。僕は夢中でシャッターを切ることしかできなかった。無力である。母親の腫瘍が見つかったのは今年の5月だった。既に手遅れな状態だった。手術が不可能で、延命措置的な治療も本人が望まなかったので、痛み止めで誤魔化しているような現状だ。今の所、担当医をして、こんなに元気な患者は珍しい、と言わしめるくらい、末期癌患者とは思えないくらいに元気ではあるのだけれど、確実に、少しづつ状況は悪化しつつある。日々刻々と、確実に病魔は彼女を蝕んでいっている。正直なところ、時間の問題である。「何を買っても、残り1年と考えると…自分が死んだ後は全部ゴミになってしまうと思うと、欲しいと思ったものも買えない。」恐らく彼女にとっては、この短い日帰り旅行も終活の一環なのだろうと思う。僕を含め、狼狽し嘆き悲しむ周囲の家族に比べ、当の本人は達観しているような様子ではあるけれど…表に出さないだけで、やはり思うところは色々あるのだろうと思う。当初の予定では、1泊2日のつもりだったのだけれど、非常に悪いタイミングで台風が来てしまったがために、日帰りになってしまった。なんて理不尽なんだろう。なんでよりによって今なんだろう。行き場のない怒り、悲しみ。何でこんなにも、良くないことばかり起こってしまうのだろう。「事実は小説よりも奇なり。」本が大好きな父親が、5月に涙ぐみながら言った言葉だ。正にその通り。どうすることもできないというのは非常に歯痒い。が、どうすることもできないのだ。僕はシャッターを切ることしかできない。無力である。代わりに手術を受けてあげることも、治療をしてあげることもできない。無力である。気を遣ったつもりでも、逆に気を遣わせてしまうことばかりだ。古いアルバムに、生後間もなくの僕の写真が収められていたのを見つけた。もう30歳を過ぎた大人だとはいえ、彼女からすれば、腹を痛めて産んだ子供というのは、あの頃の3000何グラムの赤子と地続きの存在なのだろう。子供は幾つになっても子供なのだ。別にオチもないし結論もないのに無駄に最後だけ長文になってしまったけれど、兎に角、何だか全てがやりきれないし全てが憎いし全てが悲しい。何と言ったらい良いのか分からないけれど、こんな現実は嫌だ。全部嘘であって欲しい。次に目が覚めたら、全部なかったことになっていて欲しい。何度そう思ったことだろう。何度そう願ったことだろう。人生とは、生きる意味とは何なのだろうと最近よく思う。何も分からないまま、気付いたらいつの間にか生まれて来ていて、やがて自我が芽生えて、そしていつかは必ず死んでいく、それだけの短い人生。嘆き悲しんでいる暇なんてないのだけれど、ここ半年ほどで死生観というか人生観というか、色んなものが揺らいでしまった。感情の赴くままに書いたからまとまりのない下手糞な文章になってしまった。

この台風が過ぎ去ったら、全てが、何もかもが、なかったことになれば良いのに。

さよならリコーフレックス

4月に、二眼レフカメラリコーフレックスを買った。12000円で。八重桜なんかを撮ったような記憶がある。購入した動機というか理由というのは、レトロな外観、そして上から覗く撮影スタイル。つまり完全に見た目だけである。

そして、モノクロ1本、カラーネガ3、4本分くらいしか撮らずに、というかそもそも持ち出すことすらなく、半年の時が過ぎた。やはり小さくて軽くて鞄に入れやすい、というカメラでないと持ち歩かない。おまけに、リコーフレックスは露出計もないし、操作もフルマニュアル。ほぼ絞り優先AEしか使わない人間には、露出の勘なんて無い。マニュアルフォーカス自体はα7Sで慣れているが、いつもピーキング機能やピント面拡大に頼っているというのもあり、ルーペを見ながらピントを合わせるのは億劫(それでもピントは大体合っていたが)。そんなこんなで、結局使うのは35mmのフィルムカメラばかりとなり…防湿ケースの肥やしになるくらいなら、ということで売ってしまった。10000円で。送料とか手数料、差し引き4000円ほどで半年間レンタルしていたと考えれば…果たして安いのか高いのか。

カメラは所詮道具に過ぎなくて、大事なのは出て来る写真の方だ。そして道具というのは何も考えないでも、自分の手足のように使いこなせるものでなければならない。二眼レフカメラの扱い方も、使っているうちにまぁまぁ慣れてきてはいたけれど、やはりフルマニュアルというのは、露出を測って、絞りを決めて、シャッタースピードを決めて、ピントを合わせて・・・と、時間がかかる。他のカメラだったら、絞り優先AEで、ピントもAFだからこれらの手間は一瞬で解決する。当たり前だ。そういう理由で廃れていったカメラなのだから。こんな不便なカメラをわざわざ使っているのは一部の愛好家だけだ。

ということで結局手放してしまった。二眼レフって、真四角写真って良いなぁと思ったのは、川内倫子の写真集を見た影響だった。

うたたね

うたたね



倫子さんぽくはならなかった。フィルムはPRO400H。
写り自体は悪くない。というか、かなり良い。独特なボケ味。
そして絞り開放付近だと四隅はグルグルボケになる。



モノクロ。そもそもモノクロ自体を殆ど撮らない。
巻き上げを忘れて多重露光してしまった、というミスも何度かあった。



フィルムならではの柔らかさ、そして階調表現においては、35mmなんか比較にならない。
やはりブローニーフィルムというのは独特な良さがあるなと写真を見ていて今思った。


けれど、やはり自分の撮影スタイルには合わなかったなぁというところ。


ホルガがあるので、ブローニーフィルムは残してあるけれど、ホルガも殆ど使わないなぁ。というのも、結局晴れた昼間でないと使えなくて、晴れた昼間に撮影する機会がなかなかないから。そして一度しか無いような撮影機会に、ホルガだとまともに撮れているかが不安過ぎる…。

ホルガも、ブローニーフィルムも全部売ってしまおうか、どうしようか。敢えてホルガオンリーでポートレート撮影するのも面白いかもしれないが。そういう実験性の高いことでもやらない限り、自分の写真はなかなか変わっていかないかもしれない。

そういえばブローニーは現像が即日には上がらないというのもマイナス点だった。


花火

花火

Cui Cui

Cui Cui

川内倫子さんの写真集はオススメです。